後期、最後の授業

先週は大学での講義。学生にフッサールの現象学を紹介した。現象学が行った還元の考え方はヌース的に言えば、外面先手の世界認識のあり方を作ろうというもの。内面の世界の方は”世界確信”という言い方で表現されるのだが、ここがひ弱い。物の正体は不問に付されたまま。

ヌーソロジーの考え方は外面に知覚されるものがどのように認識として成り立ってくるのかではなく、「ナニガソレヲサセテイルノカ」という、その「サセテイルモノ」側の構造を問題にする。それによって、表象次元から出る思考を行うわけだ。そして、それが素粒子構造に繋がっているという考え方をする。

さすがに大学ではそこまでは話せないが、ここに示している「コミュニオン」とはそうした超越論的無意識におけるコミュニケーションのことを示唆したものだ。要は、キリストの血と肉——未だ明かされたことのない未知の共同体。それが「存在」だ。

コミュニオンを準備する哲学としての現象学