女性の声でつむがれるヌーソロジー

音読さんにTwitterの呟きを読ませてみました。
タイトルは「存在をイメージできるようになるために」。難しい内容も、女性の声で流れてくると、分かった気になる感じがする・・・しないか(笑)

内から外へと世界が生み出されている。そういう目でまずは外の世界を見ることが大事。そうすれば、必然的に私たちの問いは存在論的なものへと変わっていく。つまりは、自分という存在への問いと、世界とは何かという問いが一致をみるということ。それが正しい問いの立て方。自分なしにただ外への問いを立てても、答えは永遠に出ない。
OCOT情報がいう「認識の完全化」とは、そのような問いかけのもとに、一つ一つ答えを見出していく作業のことを言っている。哲学的にいえば、それが「存在になる」ということだろうと思う。

ハイデガーは時間の本質を”脱自”として考えた。ここには”内なる自分から脱け出た自分”という意味がある。そしてハイデガー はそのような自分のことを本来的な自己として、自己自身か時間であることを示した。そして、その時間が外を出現させている。「ある」ということの真の了解とはそういうもの。

外→内→外。

何度も言っているが、この円環を見えるようにしなければならない。最初の外と後の外はまったく違うもの。この二つの外が一つに結ばれるとき、自分自身が時間であるということが覚知される。OCOTはそのことを「位置の等換」という言葉で表す。

ハイデガーがなぜあれほど「物を対象化すんなよ」と言っていたか、その意味がわかるよね。それだと内→外どころか、最初のステップの内さえもよく見えない。要は”対象化”とは存在を介入させないための結界のようなものなんだよ。自らが存在への侵入を拒絶しているようなもの。それが自我でもあるわけ。

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