World View TransformationからSelf Transformationへ

OCOT情報はやたら「変換」という言葉を使いたがるのだが、これは「内的実在への巻き戻しがあるからこそ、世界はこうして存在することができているんだよ」ということの言い換えでもある。この巻き戻しが「変換」であり、それは存在による「返還要請」でもある。破壊されたことによる裏での補完だ。

私たちの目の前に見えている物質的自然のすべてが、実のところ、そのような返還要請を行なっている高次元精神の射影のようなものだ。素粒子はその原初の変換性であり、その変換の場所に私たち人間の意識にとっての超越論的なものの力が流動している。

多くの人が「わたし」の由来を知りたがるが、おそらく、この返還要請としての呼び戻しの声の響きに聴き従うところに人間の個としての「わたし」という存在が生じている。つまりは、人間、誰しもが「存在に召命されし者」なのである。存在における過去と未来の橋渡しとしての「わたし」。
「変換」は「転換」とセットになっている。対化だということだ。これらの概念に一番近いものはおそらく神学で言われる所のアポスタシスとカタスタシスだろう。上方に向かっての生成と下方に向かっての生成という意味だ。双方合わせてアポカタスタシス(万物復興)、これがホメオスタシスを保証する。
自己存在と他者存在は、存在における、この変換性と転換性として出現しているものだ。

ヌーソロジーの思考線はこのアポカタスタシスの思考に貫かれている。万物の復興を目指すものであるから当然と言えば当然だ。ヌースとノスもそのような働きの力の流れとしてイメージするといいかもしれない。
変換性(上方への生成)は転換性(下方への生成)の中においては”物質”として表現されてくる。その意味で、転換に位置を持つ意識にとっては、変換性は物質としての現れのなかに直接内在するような形で現れることになる。物質の根底に素粒子が見えているのも、そのような理由によるものと考えるといい。

素粒子、原子、分子、重合分子といった物質生成の階層は、この変換性と転換性の反復が原因となって生じている。変換性には転換性が見えており、それまでの変換のプロセスを初期条件として、そこから、転換で下へと降りたものを再度変換していくことにより、変換性自体が襞のようにして地層化していく。
こうして最高度の変換性が人間の肉体にまで至る物質階層として、最高度の転換性の前に現れる。それが世界における他者存在と自己存在の本性である。そして、これらはもちろん双対である。

意識を反転させよう。存在は逆方向に回り始めている。
ヌーソロジーのいうWorld View Transformation。少しはイメージが伝わったかな? このWVTがSelf Transfomationを引き起こし、この地上にトランスフォーマーを増殖させていくというのがOCOT情報のシナリオなのだけどね。。

World View Transformation