流れない時間の場所

以前のオンライン講演会で、奥行きが流れない時間としての持続の場所になっていることを分かりやすく図にして説明してみました。一応、ここでは時間の流れを左から右方向で示していますが、これは3次元意識での時間感覚と思ってください。4次元が見えてくると時間は持続の時間で示した矢印の逆方向になります。

このような配置で時間と持続の関係をイメージできるようになると現在と過去が共存している感覚がクリアに意識化されてきます。この現在における過去との共存がヌーソロジーが「いる」感覚と呼んでいるものです。これは、持続に触れていること。つまり、存在(生命)に触れているということを意味します。
ここから一歩進んで持続空間の中に分け入り、その内部がどういう構造になっているかを思考し、それを感覚に上げていこうとしているのがヌーソロジーです。それは具体的には、ヌーソロジーが次元観察子と呼んでいるもので表現されて行きます。
結果的に、そこに生み出されている世界が「なる」の世界へとなって行くとヌーソロジーでは考えています。「モノ」の本性、物自体の世界ですね。

奥行きに持続の位置があることを人間の意識が知ることを、OCOT情報では「方向覚醒」と呼んでいます。これは、精神が奥行きを通して外化し始めるということを意味します。この「方向覚醒」によって、精神と物質が一致した世界風景が徐々に意識に出現し始めるということです。「意識の位置」が見出されるということでもあります。
「位置」というと、普通私たちは空間的な点をイメージしますが、位置とは本来3次元空間上にポツンと打たれた点のようなものではなく、対象を見ることの中に潜む奥行き自身のことを言うのです。私たちは空間に点を見るのではありません。見ること自体が点だということです。そして、それは持続の働きのことでもあるわけですから、そのイマジネーションだけでも、そこでは見るものと見られるものの分離が消滅していることがわかります。

こうした持続としての異空における無時間の力は、時計的な時間と延長的な空間しか知らない物理学の中では運動の関数として記述されるしかありません。持続が時間と空間をベースに記述されている状態と言ってもいいでしょう。それが量子を記述する波動関数Ψの正体と見るのがヌーソロジーです。
そういうわけですから、主客を分離させた認識では量子の正体は永遠につかむことができません。その意味では、量子とは奥行きに潜んでいるひとつの先験的原理であって、科学的、経験的な概念では決してないのです。

持続の場所