原因が先か、それとも結果が先か・・・

イルカとは有機体ノウスの原核心(ゲンカクシン)です。
by OCOT

意味不明・・・(笑)
ヌーソロジーは物質の世界と精神の世界を互いに反転関係にあるものとして見る。言い換えるなら、物質知を通して「水に映る大空あれ!」という例の古代のヘルメス的宇宙観の復興を目論んでいるわけだ。この文脈の中では、生き物の世界=生態系は脈性観察子という最も巨大な観察子領域に対応している。
精神側から見ると、宇宙の本質はこの脈性観察子側の世界にあり、どうもこちらが土台となっているようなのだ。分かりやすい言い方をするなら、動植物たちが生きているから、非生物の世界がある―どうも、そういうことらしい。私たちが今どっぷりと浸かっている近代が作り出した科学的宇宙観とは真逆なことが分かる。

この逆転した視点から見ると、素粒子から細胞に至る、いわゆる科学が物質進化の歴史と呼んでいるものは、進化というよりも、その根源的世界が壊れてしまったことにより、その壊れを是正しようとするところに生じているものとしてイメージされてくるのだが、これは総じて「精神への変換」と呼ばれる。要は、生き物の本質が活動している世界からの呼び戻しの声の響き(霊引き)のようなものだ。

物質的世界観で原因と結果と呼ばれているものは、精神側の世界側から見ればそのすべてが逆転していて、結果の方が原因とみてしまっている。わかりやすく言うなら、例えば科学では人間の肉体は物質進化の最終的な結果とされる。しかし、精神の世界側から言わせれば、これは本末転倒もいいところで、この宇宙が生まれている真の原因は人間の体にある。OCOTが人間の肉体(重心)を神と呼ぶのものそのような理由からだ。

OCOTによるこの「重心」=神、という定義はほんとによくできていて、それは正確に言うと、結果の世界と原因の世界が互いに重なり合う位置のことを指している。結果の世界が他者世界(物質)、原因の世界が自己(精神)とするなら、これら両者の触れ合いが起こる位置が「重心」の意味するところとなる。

科学的世界観がまずいのは、原因を結果の世界のなかで夢想しているところだ。インフレーションやマルチバース、ビッグバンといった科学が描く宇宙の始源のイメージは物質イメージで思い描くべきものではなく、ほんとうは精神イメージで描像されなければならない。事実、また、それしかできないはずだ。

科学が原因を結果の中でしか夢想できない理由は明らかで、それは、原因となる自己自身を物質として現れている他者世界に同一化させ、自らも物質となって、一般化させているからだ。

人類、ホモサピエンス、人間etc・・・。自己は結果ではない。原因だ。もしくは結果を原因へと引き継いでいる存在なのである。

イルカ