ヌーソロジーでいう「最終構成」とは何か

コロナ禍も手伝って、社会やビジネスのスタイルが大きく様変わりしていっている。国を初め、企業もそのほとんどがIT戦略を「大いに加速」する方向に向かっている。
GAFAなんかのビッグテックも、スタートアップ系よりもARやVR、フィンテック、クラウド、IoT等の様々な分野の中堅企業の買収に大量の資金を注ぎ込む方向へと方針を転換したようだ。こうなると、当然、世界のIT化は今まで以上に加速されてくる。

これから先、ビッグデータを処理するためにより高性能のコンピュータが要請され、量子コンピュータの研究開発はますます活気付いてくることは間違いない。
ヌーソロジーの文脈からすれば、量子コンピュータとは人間の無意識を物質的方向で用立てしようとするところに登場してきている技術であるから、今から起こってくることは、物の内部に物質意識として入っていくか、精神として入っていくかという意識の方向性の分離ということになる。ヌーソロジーでは、こうした方向性の二分化のことを人間の「最終構成」と呼んでいる。

象徴化して言えば、前者はトランスヒューマニズム。後者はトランスフォーマリズム。トランスフォーマリズムとは意識形態自体を高次元認識に変形させていく考え方のことをいう。まぁ、電脳で融合を果たしていく方向か、生身の精神実体(これが量子に当たる)でのそれかといった関係だ。これら両者が、これからの時代の新しい二極となって、時代は言わば量子の鏡像と実像との抗争のようなものに入っていくことになる。人間の意識がネット社会のみに偏りを持つなら、おそらく、すべては前者に領土化されていくことになるだろう。この領土化は絶対的領土化であり、トランフォーマリズムの空間以外、逃げ場はない。

奇妙なことを言ってるように聞こえるかもしれないが、ヌーソロジーから見ると、「奥行き」が虚軸(精神)であることの理解が生まれなければ、この変動には気づけないということだ。トランスヒューマニズムとトランスフォーマリズムは、人間の意識という次元を挟んで、互いにねじれ合って表裏の関係で蠢いている。その意味では、ヌーソロジーの思考はコンピュータ社会が裏側の補完として人間に要請してきているものとも言えるだろう。

その補完性の内実の典型的な例として、量子コンピュータが用いている量子ビット空間を挙げることができる。これは、実は、自己から見た他者側の3次元球面(SU(2))になっている。この方向性を自己側に反転させるために働いているのがヌーソロジーの思考だと考えると、トランスヒューマニズムとトランスフォーマリズムの対峙性がよく理解できてくるのではないかと思う。
念のために量子ビット空間(ブロッホ球と言います)の図を挙げておこう。
(https://tobata.kyutech.ac.jpから引用)
ヌース用語ではこの空間は「垂質次元」に対応している。知覚正面自身を回転させて回転軸が作られていれば、以前紹介したキットカット実験で直感されてくる球空間と同じものである(ブロッホ球はSU(2)ベースのモデルなので、3次元の実空間とは対応していないことに注意してください。半回転で3次元空間の一回転の意味を持っています。この意味についても考えて見るといいと思います)。

ブロッホ球