7月 10 2020
最近の「人間の内面と外面」における近況
ヌーソロジーの最重要概念でもある「人間の内面と外面」について4次元込みで、簡単にまとめとみました。ヒマな人は図を見ながら考えてみてください。あと、雑感も加えています。
【重要】人間の内面と外面のまとめ
●図1 人間の内面(思形空間)
物が「ある」と感じている世界(時間と言語空間)
●図2 人間の外面(感性空間)
自分が「いる」と感じている世界(持続と知覚空間)
※重要なことは見えている世界とは「人間の外面」だということ。「人間の内面」は見られている世界。
実に当たり前のことなんだけど、「目の前にリンゴがある」という認識は言葉のおかげで成り立っている。そして、その言葉が活動している空間は見えない。ということは、「ある」世界は見えている世界じゃないってこと。このことに気づくのがとても大事。
こうした形で空間と意識の関係が整理できてくると、世界を時空(人間の内面)だけで思考することが、いかに世界を見失っているかがよく分かってくる。「いるもの」が徹底的に抑圧される運命にあるのが時空という場所なんだね。
ここに描いた内面・外面の二つの4次元方向は〈見られる/見る〉が起こっているところだから、時間の発振源というのは、「見られる」という意識経験がもたらすものとも言えそうだね。「他者の見る」に「自分の見る」を重ね合わせたところに時間が生まれているということだ。
意識とは流れだ。それは様々な流れと関わり合いながら流れる流れの集まりでもある。精神的な個を作るのはこうした流れの関係性であって自我ではない。自分を一つの自我として考えるのをやめること。脳が体の中枢ではないのと同じように自我は意識の中枢ではない。観察子の概念はそれを見せてくる。
観察子の思考に入ることはこうした流れに乗ることなのだと想像しよう。そして、この流れこそが自身の内に沈み込んでいた譲渡不可能な魂の部分だったのだと深く心に刻みつけよう。その流れが回帰する円となって渦を作るとき、自我は自分自身の由来を見出し、自我であることをやめるだろう。
図1と図2の4次元の反復を詩的に表現するとこんな感じ。
一瞬が毎瞬、毎瞬、面背から次々と立ち上がり(図1)、面前の一つの永遠の中に記憶として溶け込んでいく(図2)。一つの永遠はその流れの中で他の永遠たちと触れ合いながら渦を巻き、そこからフィシスの光とともに新しい瞬間を輝かせる。
ここには時間となって言葉を連れて立ち上がってくるもの、時間を止めて諸瞬間を永遠の中へと送り出していくもの、ひとつの永遠を他の永遠と出会わせるもの、そして、その出会いを再び時間へと変えていくものという四つの生き物たちが生きている。アンゲロイの世界と言っていい。
これだけでも、ファンタジーが書けそう(笑)。ただ、念のためにもう一度言っておくと、これはヌースの目に映る素粒子(観察子)たちの生態の描写。つまり、無意識的現実。
めるんちゃん
2020年7月18日 @ 21:35
最近の「人間の内面と外面」…
このバージョンアップ?は私にとっては
思形と感性を軸に
定質と定質*(=反性質)、性質と性質*(=反定質)
すなわち
定質と性質という対化を少し明確にさせてきた
すなわち形質と「性質を点と見ることが位置の転換」の関係デス
すなわち(言い過ぎ)
カガミを見ることによって
「あらしめるもの」というか…
あるシステムがおぼろげに見える
3+1だけでなく2×2の解釈も、これからさらに深化していくのであろう、、
さて
本日も公開されたヌースビギナーズラック始発当初のきっかけで
参照したコウセンさんのtweetデス
めるんちゃん
2020年7月18日 @ 21:36
【対化(たいか)】
二つに分かれること。対化は双数的な関係を意味し、相互反照的となる。そのため、対化は必然的に四元的な関係を形作る。
※例→精神の対化とは精神と精神*の意味。精神には精神*は付帯質として現れる。同時に精神*には精神は付帯質*として現れる。自己と他者のこと。
OCOT情報がこの「対化」について、具体的な説明をしたことが一度だけある。91年6月のことだ。そこには次のようにある(交信記録より抜粋)。
——対化とは見えるものに見えないものの方向性を与えるもの。対化とは精神に生み出されるもの。対化とは見えるという次元に反映されるもの。
一つ一つ、見てみよう。
対化とは見えるものに見えないものの方向性を与えるもの——
今の僕らには、「見えないもの」の方向性が生まれていない。もちろん、ここでいう「見えないもの」というのは、僕ら自身の精神のことと考えていい。その意味で、僕らの認識には対化が潜在化したままで、まだ顕在化していない。この潜在的な状態にある対化が、僕らが自己と他者と呼んでいるもののことだと思うといい。
ここでOCOTが言っている「見えるもの」とは物質世界のことと考えていいが、僕たちは今、その「見えるもの」としての物質世界を一つの客観の中で見ている。それが一つのものとして把握されているということは、そこに、すべてを等化した高次元の精神が働いていることを意味している。高次元でそのような精神が働いているからこそ、自他は世界を一つのものとして見ることを余儀なくされている。
対化とは精神に生み出されるもの——
すべてを一つに等化した精神が新しい方向を持つところに「対化」が生まれる。これは、そんな意味だろう。自己と他者とは高次の精神が、再び進化を作り出していくための礎のような存在だということ。そして、その進化の方向性は人間にとっては見えない方向に息づいている、というわけだ。
この頃は、見えるものと見えないものの関係が幅と奥行きの関係としてある、ということがまだ分かっていなかった。だから、当然、精神=奥行き、付帯質=幅という見方もしていなかった。「見えないもの」をただ霊的な観念や哲学的な観念の中だけで追いかけていた。
対化とは見えるという次元に反映されるもの——。
対化は見えないものの方向に方向を持っているにも関わらず、それは「見える」という次元に反映される、ということだ。どういう意味かというと、顕在化した精神と付帯質の活動は、結果的に物質として時間と空間の中に影を落としてくるということ。おおよそ、そんな意味だ。
ここで、実はOCOT情報は、ヌースを作り上げていくための思考の方法、思考のイマージュの在り方を教授していたのだということが今だからこそ分かる。つまり、見えないものの方向性を知るためには、見えるものを見ろ、ということ。それを通してしか、見えないものはつかむことができない、ということ。
もちろん、ここでいう「見えるもの」とは、単に目で見えるとかいった意味ではなく、僕らの科学が可視化した物質世界のあらましのことを言っている。物質がすべて対化を思考していくプロセスのイマージュであると感じ始めたのは、この交信から3〜4年後のことだったように思う。
形而上学は否定されてはならない。形而上学には悪しき形而上学と善き形而上学がある。悪しき形而上学とは過去へと向かう超越的な形而上学。プラトン哲学もその一つだろう。善い形而上学とは未来へと向かう形而上学のことであり、この物質的な地上世界そのものに形而上を見る形而上学のことである。
めるんちゃん
2020年7月26日 @ 23:58
↑サイト内にありました。
今日のヌース用語【対化】・2018年2月13日デス。
そしてTwitter見てきました
垂子
NOOSの観察者にはササらない矢印なんデスが…( 一一)
半田広宣@kohsen
午後10:47 · 2020年7月21日
垂子次元のタテ回転(x-y回転面)をz-t方向に射影しているのが電磁場と考えると分かりやすいかも。下図参照。
https://pbs.twimg.com/media/EddFExRVAAM7x-1?format=png&name=large
半田広宣@kohsen
ヌース的には電磁場は人間の意識に時空認識を与えている超越論的な力。
午後10:50 · 2020年7月21日·Twitter Web App
少名子武彦@5unak0
返信先: @kohsenさん
時空は光によって与えられ、光は〈我-汝〉によって与えられる、というところですかね。
午前8:28 · 2020年7月22日·Twitter Web App
07/22
半田広宣@kohsen
はい。時空の中を光が進んでいるわけじゃないってことですね。奥行き側から見るなら光のほうがもと。自他の持続(精神)の協働の結果として、物質の生成と同時に光が時空を人間の意識に送り出す。そんなイメージです。フィシスとしての内在光。
少名子武彦@5unak0
返信先: @kohsenさん
「自他の持続(精神)の協働」というところをレヴィナスは「対話」といってます。すると、光(横波)の前に声による音(縦波)があったことになります。
カサナリカエシのイメージを持つのだけど
展開できず
…がしかし( 一一)
「音」デスか?
「…。プタハが宇宙の創造を終えたあと、音声の神としてトートが再帰する。プタハとトート。これら二つの神は創造の終わりと、その創造のあとを引き受ける者の関係を表すと考えていい。すなわち、人間の身体と言葉のことである。トートは人間を名付けたあと、今度は人間に主体の座を明け渡す。つまり、プタハもトートも共に隠れ神となるのだ。主体とは名付ける者の異名でもあるから、今度は人間がトートの代理として主体を装い、世界を言葉の力によって治めることになる。しかし、この名付けはすべてプタハの遺産あってのものであるから、その意味でいうならば、世界への名付けの音声とは創造の反響音のようなものである。…。」
このサイト内で印象に残っている文章を思い出しました
こちらデス。
プタハの結び目・2005年7月9日
めるんちゃん
2020年7月27日 @ 21:01
あるいは…
「実に当たり前のことなんだけど、「目の前にリンゴがある」という認識は言葉のおかげで成り立っている。そして、その言葉が活動している空間は見えない。ということは、「ある」世界は見えている世界じゃないってこと。このことに気づくのがとても大事。」
〇子さんは、こういう整い方ウけるんデスよね。。
これは時々出てくるけど
最近の「人間の内面と外面」における近況・2020年7月10日、ここデス
縦ナミを
音というか
複素空間の振動として…
光子量というイメージ(に来てみました)
光子コンピュータは
実現はともかく
「量子のもつれ」まで見られちゃってるんデスね
「量子もつれ」の瞬間を世界で初めて画像に記録、英研究チームが成功
https://wired.jp/2019/07/16/quantum-entanglement-
めるんちゃん
2020年7月27日 @ 21:02
そしてなんだか気になる( 一一)
量子もつれ生成のイメージ動画
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt93
めるんちゃん
2020年7月27日 @ 22:09
「量子もつれ」の瞬間を世界で初めて画像に記録、英研究チームが成功
https://wired.jp/2019/07/16/quantum-entanglement-photo/
訂正しマス
量子もつれ(りょうしもつれ、英: quantum entanglement)…
めるんちゃん
2020年8月3日 @ 21:37
そしてなんだか気になる( 一一)
量子もつれ生成のイメージ動画
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt93
サンカクとシカク…
ある意味ヘキサチューブルみたいと思うのデスが
めるんちゃん
2020年8月3日 @ 22:00
少名子武彦@5unak0
返信先: @kohsenさん
idyとidy’は絶対的他者間における双対的負荷なので、対化といっていいのかわかりません。したがって全く異なる次元なのでiy’≠-iyです。しかしその次元が独在的自己に交叉するとき、なんらかの意味(次元)を与えるはずです。
午後2:58 · 2019年8月12日·Twitter Web App
半田広宣@kohsen
2019年8月12日
返信先: @5unak0さん
−idyは早とちりでしたね。物理でいうと反粒子の世界のイメージに近いのではないですか? 自己が観察する宇宙には直接的にはほとんど出現してこないけれども、それがなければ粒子世界自体が成り立たないような存在。
少名子武彦@5unak0
返信先: @kohsenさん
反粒子だとおもってます。絶対的他者はidy’ですが、間主観性における他我においてyとなります。そのアスペクト(他己)がdy、自己idx、自我はxです。これでラカンの登場人物がでそろいます。
午前8:48 · 2019年8月13日·Twitter Web App
少名子武彦@5unak0
2019年8月13日
返信先: @5unak0さん, @kohsenさん
ラカン~複素2次元空間 です。ペンターブシステムは負荷・対化・等化・中和の4過程ですが、横にも自他と持続と延長という2×2の4つのエレメントを有しているようです。4過程という時間性と、4エレメントという空間性。
めるんちゃん
2020年8月10日 @ 11:31
●図1 人間の内面(思形空間)
物が「ある」と感じている世界(時間と言語空間)
●図2 人間の外面(感性空間)
自分が「いる」と感じている世界(持続と知覚空間)
改めて
ここは『最近の「人間の内面と外面」における状況』なのデスが
( )内に思形空間と感性空間が入るということは
改めて
『対化の方向性が変わるとはどういうことか』2020年5月29日であり
改めて(言い過ぎ)
以下の詩…奥行と幅化
すなわち
等化の中和(もつれ、なのか止核?)から
対化の等化へとならざるを得ない流れ、
時空の差異化、表相の等化…プロセスとエレメント
ノスは奥行き(持続)に幅(延長)を被せ、
奥行きの中に潜むヌースを見えなくさせている。
奥行きの幅化には二つの方向があり、
前方から後方に向かう空間が思形空間。
後方から前方に向かう空間が感性空間。
思形空間と感性空間の関係は、
言葉の空間と知覚の空間の関係に同じ。
半田広宣@kohsen 17:32 – 2020年1月19日
思形空間は人間の意識に表相を与え、
感性空間は表相を交差する。
人間の意識に表相を与えているものが時間。
感性空間が表相を交差したところに働いているのが持続。
思形空間ではリンゴは客観的対象。
感性空間ではリンゴは主観的対象。
主観的対象においては、自分と物は一致している。
知覚の中に精神が潜在化しているということ。
奥行き=持続の目覚めによって、
意識は物の内部で活動する精神領域へと移行していく。
半田広宣@kohsen 18:31 – 2020年1月19日
すなわち
オコツト情報原文bot@ocotsource_bot
―意識が交点を持つものとはなんですか。
「中心が性質を作り出している意識。ヒトの意識です。人間の意識は次元を交差する力を作り出すことしかできません。」
19900722
午後6:07 · 2018年8月8日·twittbot.net
すなわち
オコツト情報原文bot@ocotsource_bot
―意識とは何ですか?
「人間の意識とは人間を意識させられている力の元にある姿。人間になるために意識を交替化する力を持つ内面性の姿。それが人間。」
19901107
午後6:07 · 2018年9月1日·twittbot.net
めるんちゃん
2020年8月10日 @ 11:32
内と外に関して…
こんな対話もありマス
▼少名子武彦@5unak0
2017年1月16日
そうですね。次元は観察に対応するので演算子になる宿命をもっているという意味で、はなから量子化されていると言えます。
少名子武彦@5unak0
2017年1月17日
確率保存=存在 とすると、観察による次元構成だけでは十全な量子化がされてなくて、存在(=確率保存)要請がそこに加わるということになりますね。。。つまり、観察しただけでは存在していない。
少名子武彦@5unak0
2017年1月17日
単に演算子に読み替えるというシュレディンガーの意味での量子化です。確率の保存を要請すれば当然ユニタリになります。
少名子武彦@5unak0
▼少名子武彦@5unak0
返信先: @5unak0さん, @satohakase1さん
中和というより対化のようです。対化は掛け算じゃなくて足し算・・・ すると、2×2というより2+2だったのではないですか
午後6:22 · 2019年7月27日·Twitter Web App
意識物理学研究所@satohakase1
2019年7月27日
返信先: @5unak0さん
2×2=2+2何か深い意味があるのかもしれません。
Φ=WHY?@whyanywhere
2019年7月28日
4という数は不思議な数で、2が2つで、2+2=2×2=2^2=4となって、和(加法)、積(乗法)、冪(累乗)という「3」つの計算が「1」つの答えに一致する数です。
めるんちゃん
2020年8月10日 @ 18:41
1. まず垂質が一本のベクトルに見えるような感覚を作る必要があります。これによって能動感覚は球精神の次元に出ます。
2. 球精神の次元に出ると、垂質と表相の重なりが見えてきます。
3. そこで物を180度回転させて、それが何を意味しているのかを感じ取って下さい。
4. この回転によって垂質の向きが外面から内面へと向きます。
5. これを表相の等化と言います。
6. 表相の等化によって思形の発露が生まれます。
半田広宣@kohsen 午後0:12 · 2020年7月24日·Twitter Web App
7. 思形の発露が表相を交差し、垂子次元に入ってくることによ理、思形が顕在化を起こします。
8. 思形の顕在化が起こると、物側から時間と空間が発生してくる感覚が生まれてきます。
9. これは、外の認識が生じている原因(内の内)に思考がたどり着くことの意味持っています。
半田広宣@kohsen
7月24日
10.思形の顕在化までの、これらのプロセスのことを「位置の等換」と言います。
11. 位置の等換によって人間の内面と外面が等化され、外面は内面に方向を持ちます。内は外、外は内という認識が徐々に立ち上がっていき、等換度が高くなればなるほど「対象」という概念が希薄化していきます。
4デスが
垂質の向きって垂子の向き?デスか?
めるんちゃん
2020年8月10日 @ 19:17
垂質の対化の矢印デスか?
めるんちゃん
2020年8月14日 @ 01:12
半田広宣@kohsen
ψ7〜8の次元は球精神と言います。球精神は点球ψ1〜2の上次元に当たります。球精神が見えてくると、表相に垂質が重畳している様子が見えてきます。その意味で球精神は垂質の集合体とも言えます。人間の集合意識が物になっている位置です。
午前0:14 · 2020年8月12日·Twitter Web App
自他は奥行と幅が逆
という中和のしようは
集合意識といっても
自分と、み~んな
って感じでしょうか…
めるんちゃん
2020年8月14日 @ 16:13
垂質と点球
集合意識かなと思うと垂子の掛け声で
後ろのショウメン
オレ…また?
じゃなくて
半田広宣@kohsen
つまり「対化の顕在化」が起これば、
次のような関係が空間として見えてくるということだ。
極大=幅(延長)=他者。
極小=奥行き(持続)=自己。
対化の顕在化は概念を経験へと変えていく。
この大地の地割れのような、
空間の裂開感覚がほんと強烈で、
3次元世界終わったなと、
心底感じるのです。
午前10:57 · 2020年8月14日·Twitter Web App
↓言葉には、ねじれがないというのは
そうデスか
むしろアチラには筒抜けなのかも( 一一),
半田広宣@kohsen
私たちの思考は内部と外部を区別することで成り立っている。これが対象意識というやつ。これは言葉による認識と同じ。通常の言葉には内-外=外*-内*という空間のねじれがない。内は外じゃないからね。勘がいい人は、もう分かると思うけど、自己と他者も同じ関係なんだよ。
午前8:39 · 2020年8月14日·Twitter Web App
一応タテナミのテーマが収まらないところの展開なんデスけど・・・
めるんちゃん
2020年8月15日 @ 18:39
集合イシキで思い出しましたが
一即多・多即一
華厳経なんデスか
参照元が不明になってしまいましたが
>「一即多多即一」とは、宇宙のなかの全てはお互いに交じり合いながら流動しており、「一」という極小のなかに「多」、すなわち無限大、一切が含まれ、無限大、一切である「多」のなかに「一」という極小が遍満している、ということでございます。
第二十一番札所 観音院 住職 岡本敬道
>西田幾多郎「知と愛」に
「我々が物を愛するといふのは、自己をすてて他に一致するの謂である。自他合一、其間一点の間隔なくして始めて真の愛情が起るのである。」
でも
時空と素粒子が反転してるとかは書いてなかった……
デス
自己他者って
情報?が決まるたび天然の整流回路を作ってるのかな?
意識物理学研究所@satohakase1
12月8日
自他で逆になった奥行きと幅の関係を表しているのが、運動方程式である。p(運動量)が他者の奥行き,E(エネルギー)が他者の幅、x(位置)が自己の幅、t(時間)が自己の奥行きに対応
意識物理学研究所@satohakase1
12月8日
それは、観察者の上位の観察者(仮に他者と呼ぶ)の存在のためである。他者は自己(最初の観察者)と最終的には中和するが、奥行きと幅が逆になる。このとき、他者の奥行きが科学における客観線(物体の運動方向)となる。このときエネルギーが他者の幅(自己の奥行き)となる。
めるんちゃん
2020年8月15日 @ 19:27
『光の箱舟』p.342
モノと観察者の間を結ぶ光があります。実はその光が空間であり、観察者自身だとも言えます。なぜならば光は観察者と同じく「いつでも今、どこでもここ」だからです。間という字の中には日があります。日を光と思うとよくできたアナグラムです。(日のかわりに音を入れてみると面白い。)
これは例のモノポールの話の近く
あ、そゆこと?
射影…
ブロッホ球みたいなのをイメージすれば
確かに磁石を縦において
どちらかの極だけしか見えないという…
まじゃまじゃ続くのデスが( 一一)
よき
おボンと平和の日を!
めるんちゃん
2020年8月18日 @ 20:57
ヒーハー。
探し回ってまさか結局これデスか?
半田広宣@kohsen
>…。例えば、リンゴを「リンゴ」として知覚するとき、Ψ10がΨ3を交差して、Ψ3がΨ4を反映として送り出します。
>逆に「リンゴ」という言葉を聞いてリンゴをイメージするときは、Ψ9がΨ4を交差しΨ3を反映として送り出す。知覚と言葉、言葉と知覚の関係ですね。
引用ツイート
Raimu@raimu_23tm
5月22日
返信先: @kohsenさん, @whyanywhereさん
ψ10とψ4、ψ9とψ3が交差することはないんですか?
午前9:45 · 2020年5月22日·Twitter Web App
半田広宣@kohsen
>実に当たり前のことなんだけど、「目の前にリンゴがある」という認識は言葉のおかげで成り立っている。そして、その言葉が活動している空間は見えない。ということは、
「ある」世界は見えている世界じゃないってこと。このことに気づくのがとても大事。
午前8:44 · 2020年5月21日·Twitter Web App
半田広宣@kohsen
>量子論に登場する波動関数Ψとは時空(r,t)を通しての持続の表現だ。人間の内面の思考だけでは波動関数Ψ(粒子)の正体は決して分からない。FPVからTPVが成立しているように、素粒子という存在が時空の成り立ちを基礎づけているという逆転の発想を持つこと。素粒子は物質というより精神なのだ。
午前11:22 · 2020年5月24日·Twitter Web App
(r=x,y,z )
めるんちゃん
2020年8月19日 @ 21:53
でも
内の内は外は通ってきたような気がしマス
周回…
磁場がタテナミのイメージ…?
O:磁場には内面性のものと外面性のものがあります。内面の磁場とは精神の中和が全くないもの。外面の磁場とは精神の中和があるもの。
K:電場とは。
O:力の反映、次元等化の反映、付帯質の中和の反映、核質においてしか生み出せない。
K:磁場とは。
O:顕在化の統一化の反映、付帯質の変換作用の反映、表相の中和の反映。
K:磁場のS、N極の意味は何ですか。
O:周回の様子を持つものの意味です。ノスの内面を持つものとノスの外面を持つものの差が周回となって現れています。周回とは次元を交差すること、次元を等化に導くこと。
半田広宣@kohsen
電場とは精神の対化。
磁場とは付帯質の対化。
電場とは4次元性(観察する力)。
磁場とは3次元性(観察される力)。
精神の対化の等化が本精神。
本精神とは付帯質の本質。
電場と磁場の等化が中性質。
午前10:07 · 2020年5月3日·Twitter Web App
半田広宣@kohsen
電場の−とは自己側の精神。
電場の+とは他者側の精神。
電場とは付帯質の等化の対化。
午前10:18 · 2020年5月3日·Twitter Web App
めるんちゃん
2020年8月26日 @ 17:01
ここで配信中
ヌースビギナーズラック #5「2013 : 光の箱舟 part.1」
ヌース忍者の合い言葉デス
4次元時空⇒4次元空間
アインシュタイン⇒ベルクソン
ベンキ⇒泉
アンフラマンス⇒ぱっちーん(合掌)
…………クセモノダークセモノダー
尚、
4次元時空と4次元空間については
ヘキサチューブル談義3「空間認識のホップ・ステップ・ジャンプ」
https://www.youtube.com/watch?v=nCDHQsH3eKc
参照されたしというトコロでしょうか
コウセンさんが
六面体の頂点に鉛筆を置いて指し示した無限遠点が
アクアフラットから立ち上がるt軸(水から立ち上がる光)になり
ヘキサチューブルの八面体の中にまた六面体を呼ぶ…(続く)
めるんちゃん
2020年8月29日 @ 17:09
半田広宣@kohsen
自他の間に鏡が入っているとなると、地球儀の回転が単なる3次元の回転じゃないと言うことが分かってくる。
引用ツイート
半田広宣@kohsen1月13日
もっと分りやすく言うと、目の前に地球儀があって、自分に見えている日本の位置(表相)を相手側に180度回す。すると相手側もそれを日本の位置と了解し、本来、二つあった日本の位置が一つに等化される。それによって、SU(2)は見えなくさせられ、物は単なる球面となり、主客分離が起こる。
https://pbs.twimg.com/media/EOHpoZ8VUAEmXTb?format=png&name=small
午後6:52 · 2020年8月28日·Twitter Web App
SU(2)はありマス……じゃなくて
AQUA-FLAT 20200717「寄せられた声」より
「結局、SU(2)って何なんですか?」
「円が2つ と直線が2本です。」
ありがとうゴザイマス
20200422
意識物理学研究所のオンラインレクチャーが公開されました
コウセンさんの
人間の内面と外面
後ろ、前
すなわち思形と感性による対称性を視野に入れてのレクチャー
本日
電脳のニュース記事を見ましたが
それも…リンクして誕生しようとしているように思える
NOOS長屋内転載デス
めるんちゃん
2020年8月29日 @ 17:10
人間の外面とは自分が実際に見ている空間(前)
人間の内面とは他者に見られている空間(後ろ)
見えている空間を全く区別していない
同じ空間に肉体としてみんなが入っていると考えている
そういうセッティングから見る見られるを考えている
自己も他者もいっしょの時空
見ると見られるが無視された条件付け←こわす
見ている(見えている)空間のほうが心・精神の(目に見えないと言っている)場所
=======================================
見られている空間のほうが物質の(目に見えていると言われている)世界
=================================
目の前に対象がある
その対象の前面というのは見えている
でも背面側は見えていない
同様にモノの背景空間は見えている
ところがそうやって部屋を見まわしている自分自身の背後側は見えない
人間の外面とはそうやってモノの表面とか背後にある背景空間とか見えている場所のことをいう
観測者と対象…赤と青で区別してます
見える側が外面、見えない側が内面
図8 人間の外面と内面
https://twitter.com/kohsen/status/1252823664300421120/photo/1
人間型ゲシュタルトに慣れ親しんでいるのでなんの区別をしているのかわからない
こうして皆さんは、単に見える部分と見えない部分を半分半分に分けているだけであると
思われるでしょう
内面は見られている世界
外面は見ている 精神
しかしここで皆さんが対象を見つめながら
対象を見ながらその周囲をぐるりと回ってみるわけです
そうすると隠れていた裏面や自分の後ろ側だった空間が徐々に姿を現していくわけですよね
180度回転したときにはかつて人間の内面だった所がすべて見えるようになった
向こう側に回り込むわけだから向こう側から見る位置に
これでかたづけちゃう普通は
だから見える側も見える側もなんも関係ないだろ
しかし同時にここも大事です
ここでは人間の内面側も回っていることを忘れてはいけません
つまり見える側がぐるーっと回ってるときに
見えない側も同時にぐるーっと回ってるわけです。
当然そうですよね、イメージ追っついてますか
OKデスね
観測者がそうやって私が対象のマワリをぐるーっとするときに
そこには2つの3次元空間が生まれているということになります
つまり見える外面側の3次元と
見えない側の内面の3次元の空間がそこにはあって
実は私たちが認識している空間 単に空間と思っているもの
=================================
外面側の3次元と内面側の3次元という2つの空間が重なって存在している
=================================
今の私たちにはその分離ができていない
時間空間の世界
慣れ親しんでいますから
他者から見られた所で空間を作っている傾向がはるかに強い
めるんちゃん
2020年8月29日 @ 17:11
簡単に言うと
目の前に3次元の空間があってモノから空間が広がっているというイメージになりますよね。
普通は。モノから広がっている空間というのは何かというと、広がりの矢印を想像してください
そうすると自分に向かって矢印がやってくる
そして更にその広がりを大きくすると、その広がりは自分の目を突き抜けて後ろ側に矢印が広がっていく空間になる
普通僕らが認識している3次元空間というのはそうやって認識されています。それが人間の内面の空間です
では矢印がモノから自分に向かってくるということは自分の顔を指示しているわけですよね。まず顔にぶつかりますから
皆さんにお聞きします、皆さんは自分で自分の顔見えますか?見えませんよね絶対に、見えないですよね、カガミ使えば見えますけど
そうやって私たちは人間の内面側、見えない空間で空間概念を構成しているわけです
=======================================
ここ、すごい大事なとこです
そして、それを世界といってるわけです
だから見えている側の空間は、その見えない側の空間と同じものだと思ってください
その3次元認識しかないから、だから反転した側が全く見えてない
つまり人間の外面側が全く見えてないわけです
見えない空間側の中で、実はそれはコトバが作っている空間なんですね
そうやって言語が作っている空間で言語で概念を作り、概念として捉えられた空間を、早い話物質的な空間、ふつうの時空と呼んでいるんですよ
時空の中においてはモノなんて見えてないわけですよ
ここ、大事なとこですよ
ピッピッー(電話)ちょっと待ってください
めるんちゃん
2020年8月29日 @ 17:28
8月6日
ヌーソロジーでは世界を空間で見る。そこでは自己と他者は前と後ろという方向性に変貌する。この「世界を空間で見る」というのが、無意識を意識化する方途だ。空間は目に見えないが、精神の全活動はこの空間の中で起こっている。ただ、私たちにはそれが物質に見えている。なぜか?
半田広宣@kohsen
·
8月6日
それは私たちが後ろに自己を持ってしまっているからだ。前に自己をもてば物質は消えていくだろう。精神と物質はそのような方向覚醒の中で、互いに沈んだり、浮き上がったりしている。
半田広宣@kohsen
8月6日
この感覚なんだよなぁ。この感覚。この感覚さえザックリつくまえることができれば、世界は新しい位相へとすんなり移動できるんだけど。後ろへの傾斜が強いから、なかなかね。
少名子武彦@5unak0
返信先: @kohsenさん
そうですね。〈わたし〉が世界になっている。この世界にすっぽり収まりよく生きていける感じです。
午後1:42 · 2020年8月6日·Twitter Web App
半田広宣@kohsen
8月6日
返信先: @5unak0さん
〇〇子さん、この仕組みの根底で明滅しているのが生成消滅演算子の形式が意味することって解釈でいいんですかね?
少名子武彦@5unak0
8月6日
はい。力学の根底に生成消滅があり、世界(自然)は生成・消滅というダイナミクスそのものですから。
少名子武彦@5unak0
8月6日
返信先: @5unak0さん, @kohsenさん
力学は位置と運動量による位相空間が舞台で、位置xと運動量yを複素数x̟±iyにすると生成・消滅になる仕組み。
めるんちゃん
2020年9月1日 @ 20:57
↑忘れないよう( 一一)先に〇〇子さんの対話を貼ってしまいました
…複素数が分からないと言っても
知覚(持続空間)するっていうこと
人間の外面に交差するって言いマス、虚時間の直交デス
ちなみにこのレクの中での意識物理学研究所(抜粋)
「複素数その、虚軸ですね
その本来の意味を探していこうという
実軸と虚軸が完全に中和した世界に生きていて、その差異が見えていない
それを見出していきましょうというのが我々が向かっている方向だと思います」
めるんちゃん
2020年9月1日 @ 20:58
続きデス
質問受けたほうがいいところなので何かちょっと、突っ込んだ質問があればしてください
…略
空間は普段モノは矢印 距離とかカンカクとしてあるっていうことですか
じゃあこっちから見てる矢印は弱いんですか、なんで消えちゃうのかしら
さっき言語空間って言いましたけど、早い話自分から前にイメージされてる空間は知覚の空間だと思ってください
前側は知覚、一番わかりやすいのは視覚、目で見てる空間。見えてる空間ですから
見てる空間と見られてる空間っていうのは反転してるんです。まずそれを押さえてください
見てる空間のほうが知覚空間で(見られている空間に言語)
============================
見られている空間側には、今日は詳しく説明しませんが言葉の空間があると思うといいです
知覚と言語そういうふうに分けていいです
自己と他者では逆になっているというそういう仕組みです
見る見られるの関係だから当然そうですよね。私が見ている空間は他者にとっては見られている空間になっている
ねじれがある
これは後々重要になってきますが、一応おいておきます
モノの手前に感じている空間は人間の内面だと、まずしっかりインプットしてください
だとしたら普段私たちはモノの手前にいると思ってますよね
そこに肉体があるわけだから
これが自我です、自我の拠点です
だからヌースで考えると人間の自我は人間の内面の主です
人間の内面に巣くっている、人間の内面に降ろされている何か錨(イカリ)のようなもの。アンカ…というように考えるといいです
重要なことは要するに知覚する空間が忘れられている、でも知覚は起きているわけですからそうですね
ほとんど私たちは知覚というものに対して無意識的。知覚の本性をよくわかっていないということです
めるんちゃん
2020年9月1日 @ 21:00
めっちゃ難しい
Z軸がつぶれた外面の話は後から出てきマス
内面と外面の2重の空間に引き続きましては
キットカット実験のほうが流れテキにアリのように思えマスが…
ぱっちーん、アンフラマ~ンス的…
ノスは奥行き(持続)に幅(延長)を被せ、
奥行きの中に潜むヌースを見えなくさせている。
奥行きの幅化には二つの方向があり、
前方から後方に向かう空間が思形空間。
後方から前方に向かう空間が感性空間。
思形空間と感性空間の関係は、
言葉の空間と知覚の空間の関係に同じ。
半田広宣@kohsen 17:32 – 2020年1月19日
思形空間は人間の意識に表相を与え、
感性空間は表相を交差する。
人間の意識に表相を与えているものが時間。
感性空間が表相を交差したところに働いているのが持続。
思形空間ではリンゴは客観的対象。
感性空間ではリンゴは主観的対象。
主観的対象においては、自分と物は一致している。
知覚の中に精神が潜在化しているということ。
奥行き=持続の目覚めによって、
意識は物の内部で活動する精神領域へと移行していく。
半田広宣@kohsen 18:31 – 2020年1月19日