即位の礼と虹

昨日は即位の礼の日。
古式ゆかしき儀式の中継を見るために久々に地上波にチャンネルを合わせた。
 
式典が始まるときは荒れ模様の天気だったが、N氏のツイートに拠れば、式典前には皇居を大きな虹が包んだらしい。
   
OCOT情報によれば、虹とは人間の意識の定質。
   
う~む。
   
N氏のツイートを受けて、さっそく次のようにツイートした。
   
光はカタチのない精神。カタチを相殺した精神。付帯質側では有機体と呼ばれています。その光を再び精神へと方向づけている状態が虹。水はヒトの元止揚の対化が交差を持ったもの。その意味で、虹は人間の無意識領域の表相という言い方ができます。いずれにしろめでたい。
  
 
天皇については、以前行った2015年のレクチャーでもヌーソロジーの観点からいろいろと話したが、OCOT情報から読み解くと、天皇とは真実の人間を象徴化したもののように思える。日本国などではない。真実の人間だ。人間の意識は二度の交替化によって真実の人間の意識の世界に入る。大嘗祭における儀式が悠紀(ゆき)殿と主基(すき)殿という東西の二カ所の神殿で執り行われるのも、その二度の交替化を意味するものだという。王位継承の儀式を二度反復するような国は世界中どこを探してもない。
  
続いて「三種の神器」についての質問には次のように答えている。
  
三種の神器とは?
  
玉とは転換のこと。
転換を持つものすべて。
剣とは対化のこと。
カガミとは精神の方向性のこと。
精神が反映を持つこと。
新しく次元が生み出されるときがカガミ。
  
ただし、三種の神器だけでは足りないともいい、物部系の十種神宝の方がヒトの時代の正確な知識を伝承しているとも言っていた。
  
十種神宝におけるカガミの扱いは、基本、荒御魂とされる。オキツは外宮、ヘツは内宮、オキツは天で水徳。ヘツは地で火徳。アマテラスが座すのは当然、ヘツであってオキツではない。アマテラスをオキツに見ているのがアマツカミ系の思考で、その意識の流れが今の世界を作っている。いわゆる外なる物質的太陽をアマテラスとして見ている世界だ。
  
十種神宝とはこの二つの鏡の対立に始まる荒御魂の世界から、カンナガラノミチへと御魂がどう歩みを進めていくかを具体的に表現したものと考えていいように思う。これが「三種の神器」に代用されてしまったことは、内在心を見えなくさせられたことに等しく、日本心性にとっては悲劇的な出来事と言っていいだろう。実際、今では三種の神器でさえも、天皇という権威の単なる象徴としか見なされていない。
  
天皇の即位を祝うのもいいが、これからは自らの内宮にも目を向けていく時代だ。また、それが令和という時代の意味でもあるだろう。ヌーソロジーは、その意味で、これからも私たち自身の内宮のことしか語らない(キッパリ)。内宮とは”存在”のこと。
 
新たな天皇のお名前は徳仁(ナルヒト)さま。
 
十四の心を行することによって、二人(自他)で一人のヒトとなる。
  
まぁ、何か知らんけど、ホンマよくできてるわ。
 
※下写真 @zodos66666より借用

即位の礼と虹