現実的対象と潜在的対象

幅化した奥行きには二つの方向がある。一つは対象から観測者に向かってくる方向。もう一つは観測者から対象へと向かう方向。この二つは向き付けが逆の反転した3次元を作り出している。前者が人間の内面、後者は人間の外面に関与を行っている。ヌースではこれを思形空間と感性空間と呼んでる。(下図上参照)
 
思形空間は瞬間的な現在しか持たないが、感性空間は持続(虚軸)に関与しているので、古い現在を重層的に含み持っている。思形空間ではリンゴは単なる現実的対象に過ぎないが、感性空間では、リンゴは記憶と一体化し、潜在的なものを含み持つ潜在的対象となっている。
 
このリンゴは昨日からここに置いてある。悪くなっていないだろうか―など。
 
知覚は常に記憶を含んでおり、それは局所的な小さな主体でもあるということ。潜在的対象とはそういうものだ。
 
現実的対象と潜在的対象。これらは外感覚=客観と内感覚=主観と言い換えてもいい。思形空間は思形(時間)によって統合され現実的対象のセリー(連続性)を作り、感性空間は感性によって統合され潜在的対象のセリーに触れている。ケイブコンパスが表現しているのはそれら二つの意識の流動性だと考えるといい。
 
人間の個体の意識は、まず感性=ψ10から立ち上がり、その後、思形=ψ9を発達させ、次にそこからまた感性に戻るといった順序で、この無意識の回路を反復することによって生み出されていく(下図下参照)。
 
そして、13~14歳あたりになると、この思形と感性の関係を捻る方向へと成長していく(ψ12~11へと進んでいくということ)。
 
幼児は感性空間そのものとして生きている。幼児にとって対象はすべて潜在的対象であり、それは自分自身と区別がつかない。また、幼児は流れる時間というものを知らない。流れる時間を知らないのだから、当然、瞬間的現在を表象化することもできない。流れる時間は思形の発生と共に意識に浮上し始める。
 
思形はサイド(左方向)からの視線として現れる。それによって初めて空間が意識化されてくる。思形が対象と観測者の間に幅を見せてくるのだ。ここは感性の場所であると同時に、対象の手前に観測者を意識させる空間でもある。二つの向き付けの3次元が思形には見えている。
 
ここで話しているのは、別に心理学の話ではない。素粒子構造についての話だ。そこがヌーソロジーの特異なところ。主客一致の世界観はこうしたロジックの元に到来してくると思ってる。理解できてくれば、君は世界の中に「生成」そのものとして溶け込んでいく。

奥行きの幅化における二つの方向
ケイブコンパスにおける思形と感性の役割