オコツト情報原文botに触れて

@ocotsource_bot
―モノにも意識があるとおっしゃいましたが、それは反対の意識という意味ではないのですね。
「全く違います。」
―では、モノと反対はどのように関係しているのですか。
「それを今から作らなければならないのです。」
19901005  
20:07 – 2018年9月11日
 
以前ネットに上げていたOCOT情報の記録を誰かがダウンロードしてbotで流している。ヌーソロジー以上に抽象度が高いから、皆んな、頭を掻きむしりたくなるかもね。それにしても、今見ると、ほんと奥深いことばかり言ってる。こんなもの、よく解読する気になったものだ。自分を褒めてあげたいね(笑)
 
モノにもある意識―それは、哲学でいう物自体のことだ。人間は物自体に方向付けらけているからこそ、人間として在ることができる。その連結を保っているのが人間の反対の意識の領域だ。その反対の意識を意識に上げていくこと。そのとき、反対はモノと一致していく。それを今から作らなくてはいけない。
 
まぁ、それを30年近くやってきたんだけど、まだまだだね。
 
ヌースアカデメイアのメルマガに寄せられる質問に一つ一つ答えていっているのだけど、今回はたまたま「個」についての質問だった。この「個」の本質がモノと一致していく反対と深く関係している。自己と他者は本来、どういう関係でイメージされるべきなのか。
 
人間の個とは何のために存在しているのか。また、自己と他者は本来、どういう関係でイメージされるべきなのか。このへんは、多分、ヌーソロジーの真骨頂になっていくじゃないかね。
 
メルマガではカントの話を少ししたんだけど、今の世の中はカント的常識人が多すぎないかね。それが悪いとは思わないけど、この息苦しい近代を終わらせるためにはカントを超えないと。これは時間と空間を超えた場所に人間の居場所を移動させることと同じ。付帯質の外面から付帯質の内面への移動。
 
OCOT情報が言っている「人間の反対とモノとの一致」も、そこで為されていく。ヌーソロジーが素粒子について執拗に語っているのも、そうしたパースペクティブで未来を見ているから。現在の時間軸上に到来してくる未来じゃなくて、いきなり割り込んでくる純粋未来ってのがあるんだよ。
 
肉体は仕方ないけど、精神だけは時間に捕まえられてはいけないよ。
 
捕まってたまるか、の精神で生きないとね。
 
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