内なる宇宙は絶対的中心を持っている

絶対的中心の発見―これはヌーソロジーの空間認識に入るための鉄則だね。
 
人間の外面が顕在化を起こすことは、この絶対的中心が意識に上がってくることと同意。絶対的中心の浮上は「精神の外化」と言い換えてもいいね。外に内が見えてくるということ。ヌース用語で言うなら、「垂質」が作り出すもの。垂質とは4次元の意に近い。
 
絶対的中心の位置は、例の「観点の球面化(キットカット缶の回転)のワークで見出される中心点のことだが、裏を返せば、あのワークは無限遠点(主体の位置)を一つの球面としてイメージさせるためのワークにもなっている。
 
絶対的中心点とその球面として感覚化されてくる無限遠点―ここにおいて見出されてくる球空間は、数学的は3次元射影空間と呼ばれるものと同型になっている。
 
3次元射影空間は下図のような空間としてイメージするといい(下図2番目)。図では一点でしか接していないが、この空間は二つの球空間が互いにその表面でくっつきあったような形をしている。観点の球面化を起こした自己と他者の関係を表した空間と言っていいだろう。ヌース用語では「垂質の対化」と呼ぶ(右の球体の中心点はOではなくO*に訂正)。
 
この垂質の対化の位置をヘキサチューブルで表現すると下図3番目のようになる。垂質の対化は二つの正四面体が交差する正八面体が骨格になって作られているのが分かる。
 
わたしたちが普段、表象している3次元空間の方はその下のψ3~4に内接する正八面体に対応している。階層が一つ下だ。
 
ところで、ここでいう「垂質の対化」というのは、先日、「魂の反撃のために―追記3」のところで紹介した球体と同じものと考えて構わない。あの図(下図最後)では、人間の内面側に生まれている空間を二次元双曲面に対応させていたが、観測者の自転(この自転が球面の形成に当たる)の自由度を考慮すれば、これはそのまま3次元双曲面となって「時空そのもの」を表す。人間の内面側は、いわゆる自分原点とした後ろの空間の広がりのことだ。
 
こうして総合的に構造が見えてくると、私たちの現在の空間認識においては「前(奥行き)」が全く意識化されていない―というヌーソロジーの問題提起の意図が、皆さんにおいても徐々にハッキリしてくるのではないだろうか。というか、そう願っている。
 
このように、ヌーソロジーが語る高次元認識とは、決して巷にいう超能力や霊能力のような類いのものではない。誰でも、ある一定の思考の手続きによって作り出せていけるものだ。そのあたりをくれぐれも間違えないように。

絶対的中心持続空間は3次元射影空間として表現することが可能
ヘキサチューブルにおける垂質の位置
浮上を開始する「明かしえぬ」共同体の場所