光についての補足

光についての続きだけど、光は「カタチのない精神」とも呼ばれている。この「カタチの無さ」は見るものと見られるものが同じ空間に投げ込まれているところに由来している。物質と他者身体の関係を見てみると分かるよね。それらは同じ3次元空間という場所に投げ込まれていて、同じ物質にしか見えない。
 
これが「カタチの無さ」なんだね。当然、カタチはそれらを見ている自己身体との間に立ち上がる空間に潜在している。これが奥行きであり、精神空間の位置だと考えるといい。だから、間違ってもこの自己を他者身体の場所と同じ空間に投げ込んではダメ。カタチが失われるよ。
 
人間の尊厳が叫ばれる所以はそのカタチにあるんだよ。なぜなら、そのカタチが生命だから。哲学はそのカタチの感覚を単独性とか、差異とか呼んで何とか思考に上げようと努力してきた。宗教は霊性と呼んで、いつどきも忘れさせまいと遵守してきた。しかし、今の僕らは根こそぎそのカタチを失いつつあるようにも見える。さぁ、今後、君はどうする?どうしたい?という話。