「それをそれ自身のほうから現れてくるとおりに、それ自身のほうから見えるようにする」―とは?

円卓の中央にリンゴがある。デカ !(笑)今、円卓に人が座り、全員がこのリンゴを見つめているとしよう。人それぞれの視野空間は当然、奥行き(虚軸)を持ち、そこに純粋持続を根付かせていると仮定する。そこでリンゴを回す。「わたし」が見ていたリンゴの「表相」が他者の持続空間へと侵入していく。
 
「わたし」は決して他者の奥行きには入れないにもかかわらず、リンゴは易々とそれを成し遂げていることに注意。リンゴは自転することによって、円卓に座るものすべての眼差しを統合し、そこにリンゴという存在者を花咲かせる―これはハイデガーのいう自性態と深い関係を持つ。
 
3次元空間の中に物があるんじゃなくて、眼差しと一体となった物が3次元空間を作り出しているんだよ。そろそろ、この仕組みに気付かないとね。
 
この仕組みは当然、自他の奥行きの空間同士が作っている仕組みだから、延長認識の中ではミクロ世界の中に収縮したような形で見えていて、物理学者たちがスピノル場と呼ぶものになっている。陽子と中性子が作られているところ。つまり、物の根底部ってことだね。
 
物理学やハイデガーが出てくると話が難しくなるけど、言ってることは単純。つまり、空間もそうだけど、人は時間の中に生きているのではなくて、時間として生きているということ。そして、時間には流れる時間と流れない時間があって、流れる時間は流れない時間同士が一体となったところに生まれてる。
 
そのプロセスにおいて、その間(あいだ)を結ぶものとして「物」が生成してくるわけだね。これがヌーソロジーから見たフィシスの仕組み。―それをそれ自身のほうから現れてくるとおりに、それ自身のほうから見えるようにする―というハイデガーの言葉の意味が少しはイメージできてくるんじゃないだろうか。

円卓のリンゴと自性態