「face to face」という幻想—その2

ラカンの図はそのまま、ヌーソロジーでいう人間の内面と外面のキアスムの表現となっているわけだけど、このキアスムがそのままモナド化の原理となって、物質構造の根底に入り込んでいる。物質と精神の結節の在り方だね。「目が物質を見てる」と考えている限り、思考は物質の本性にアクセスできない。
 
ヌーソロジーが「知覚が降り立っているのはプランクスケールの世界」と主張するのも、こうした理由から。このような考え方をし始めると、精神分析が見ている無意識空間と物理学が見ている素粒子空間は同じものの二つの側面にすぎないことが分かってくる。
 
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今、僕らの魂は目覚めようとしている。
二人の魂はお互いに警戒し合うことはない。
なぜって、真の愛情は一切のよそ見を禁じ、
ささやかなひと部屋を全宇宙にするから。
 
宇宙探検や人工知能が好きな連中は新世界に行くがいい。
物質の地図で様々な世界を教えてやれ。
ぼくたちはこの世界で十分。
 
互いにひとつずつの世界、
しかも、それはただひとつの世界。
君の目のなかに僕の顔、僕の目のなかに君の顔、
素直で誠実な心がこれらの顔に宿る。
きびしい北方も、暗闇の西方もない。
これ以上の半球がどこにあるだろうか。
 
死滅するものは混合の調和を保っていないものだ。
もしもぼくたちふたりの愛情がひとつで、
君も僕も相ひとしく愛するなら、なにひとつ滅びるものはない。
 
ジョン・ダン「目ざめ」——を少しアレンジ

逆モナド化の仕組み