スピノル・ストーカー

今回はスピノルの話。(スピノルとはクォークや電子など、物質を作っている粒子の角運動量ベクトルのことです)
 
何でスピノルにこんなにこだわっているのか。それはスピノルが物理学では物質を作っている根底的な「型(かた)」となっているにもかかわらず、未だにそれが何かについての議論がどこにも見られないからだ。言葉を換えれば、僕たちは未だに物質の本性を何一つ理解していないということ。
 
人間型ゲシュタルトは物質を対象としてしか見れない。だけど、反転認識が芽生えたトランスフォーマー型ゲシュタルトにとっては、物質は対象ではなく自分自身の精神として見えてくる。つまり、そこでは主体と客体の分離が消失する。主客分離以前の原型的世界がそこに、再び展開されてくるというわけだ。
 
その世界へのゲートをくぐるために、このスピノルの描像は避けては通れない。言わば、スピノルに対する理解が、主客一致の認識という狭き門へと入るための絶対条件と言っていいものになっていると言えるだろう。
 
スピノルは内部空間と呼ばれる時空とは別種の空間で回っている。その回転がいつも言っているSU(2)(エスユーツー)というものだ。これに対して僕らが普通慣れ親しんでいる回転はSO(3)(エスオースリー)、いわゆる3次元空間での回転だ。SO(3)とSU(2)は似ているのだけど、決定的な違いがある。それは、SU(2)では回転の軌道がメビウスの帯のように捻れていることだ。下のアリさんの図で確認してほしい。
 
だから、スピノルはベクトルのように一回転しても元の場所には戻ってこない。ウラ側に回る。元の位置に戻ってくるためにはもう一回転しないといけない。720度回って対称性を取り戻すわけだ。
 
直感的に分かると思うのだけど、メビウスの帯では帯の環が作る内部と外部が捻れによって等化されている。つまり、内部=外部、外部=内部が成り立っている。SU(2)の形は、それが球面として成立している。つまり、球体の内部と外部が捻れていて、もはやそこには球体の内部と外部の区別がない(こういう形を数学では「3次元球面」と呼びます。3次元すべての方向が円で繋がっているということ)。
 
この認識がトランスフォーマー型ゲシュタルトのベーシックとなるのだが、このような空間認識が副産物として何をもたらしてくるか大方の予想がつくのではないだろうか。
 
すなわち、物体の内部/外部概念の無効。従来の主客概念の無効。パラドクスの許容等、現在の人間が依拠している容器図式が持った同一性認識をことごとく解体させていくわけだ。
 
現在の人間に決定的に欠落しているのは、空間に内在しているこの捻れに対する知覚力だ。それは、自分自身の位置を空間の中に同居させていないことに起因している。いつも言っているように、世界を対象としてしか見ていないということだ。
 
自分自身をも含めて世界を論じていくためには、観察位置としての無限遠点の存在を空間の中に見なくちゃいけない。
 
無限遠点が空間の中へと降りてくれば、スピノルの謎は瞬く間に氷解していくことだろう。それは同時に、私たち自身が初めて物質の秘密に触れる日でもある。まさにベンテコスタの風景がそこに展開されていくわけだ。
 
ヌーソロジーの空間認識では、このSU(2)とSO(3)は人間の回転認識における上次元と下次元の関係にある。これは、人が物体の自転を認識しているその背後でSU(2)が人知れず活動しているということを意味しているのだが、君にはそれが感知できているだろうか?(下動画参照)
 
できていれば、君はすでに4次元認識の達成者、ということになるのだが。。

アリとメビウスの帯