近未来神秘学のあけぼの—

複素空間の描像の思考は、それそのもので、すでに主客非分離の思考になっていると考えています。
 
複素空間から時間と空間が構成されてくるとする物理学における理論的現実は、私たちの経験的認識を可能にする超越論的構成が複素空間の構成から派生していることを暗示しています。
 
物質の根底はこうした複素空間で成り立っているわけですから、「物自体」とは実は、経験的なものと超越論的なものの相関関係自体をベースに成り立っていることになります。人間の物の経験はすでに物自体の中に含まれているということです。
 
複素空間の次元は物質的空間(時空)ではなくて、人間の内在的空間と深く関係しています。ここでいう内在的空間とは不動の空間、つまり、身体空間のことと考えるといいと思います。
 
どこに赴こうとも、常にそこに身体があるように、どこに赴こうとも、不動な外的中心が対象の世界に重なり合って存在しています。それが複素空間です。意識はそこで構成され、かつ、活動しているとイメージするといいと思います。
 
ここは実3次元ではなく、複素3次元です。シュタイナーはこの空間をエーテル体やアストラル体が流れている空間として、次のような図で説明しています。(下図参照『人智学・心智学・霊智学』P.67)
 
シュタイナーは自己と他者の空間を反転関係で語ってはいませんが、こうした空間構成を双対的に考えることによって、私たちは陽子や中性子、さらには電子といった元素を構成している、それこそ「物自体」の基盤の中に、思考を介入させていくことができるようになってきます。
 
物理学において複素空間の記述が複雑化してくるのは、いつも言ってるように、時間と空間を使ってこの空間を記述しているからです。不動性(時空を無視する)を前提にしてこの空間を見ると、それは球体の階層のようなものとして立ち現れてきます。
 
球体は波動関数ψ、直線的時間、空間への表現が微分演算子、高次の球体形成が行列演算子、そういった関係です。
 
このことは、時間・空間の概念を外した世界の中では、物自体の世界は極めてシンプルな幾何学で把握していくことが可能なことを示唆しています。このことをOCOT情報は「付帯質を外す」という言い方で表現しています。時間と空間を出た場所で世界を見ていくということです。
 
シュタイナー的に言うなら、そこに出現してくるものが「霊我」ということになります。
 
死しても、なお生きているもののことですね。
 
なみに、OCOT情報が伝えるには、「付帯質を外す」と、物からは重さが消えるそうです。ほんまかいな(笑)
 
シュタイナーとコラボして、一段と近未来神秘学の様相を呈してきたヌーソロジー。これからどのように展開してくことやら。

人智学・心智学・霊智学