人の性格のタイプは幼児期の意識環境で決定づけられるということなのか

嫁さんがヌーソロジーの構造論を使って、人の性格がどのように決定づけられていくかという話をしている。観察子を実際にイメージしながら読むと、かなり面白い。

http://hoshinokatachimi.blog.jp/archives/3026770.html

今回の嫁の記事は個人的にとても面白かった。世界を飲みこもうとしても飲み込めないところに起こる不満の感情。一方、世界に飲み込まれる恐怖からくる底知れぬ不安の感情。フロイトのいう口唇期に誰もがこの意識流動の天秤にかけられる。ここでの初期条件が、その後の意識のクセとしてずっと尾を引き続ける。
 
嫁によれば、ワシはタイプ4の典型らしい。要は、ψ4側へと飲み込まれる恐怖に恐ろしく敏感なタイプ。だからこそ、クソッとなって、ψ3側(特異化)へ向かおうともがく。内面化(一般化)されてたまるか、というヤツだ。ヌーソロジーもその産物ということになろうか(笑)。嫁によれば、このタイプはアーティストに多いとのこと。フムフム。
 
そう言えば、小学生のとき初めて団地を見たとき、ゾッとした記憶がある。そのとき「こんなところには絶対住まん」と固く心に誓った自分がいた(笑)。これもタイプ4の性というものだろう。
 
潜在化(通常の人間の意識)において感性が感じ取る人間の外面というものは、自由を求める衝動と密接に結びついているのかもしれん。しかし、潜在化においてはまだその方向がはっきりと意識に上がっていない。そこで、その自由への欲望が様々な知覚物で代用されることになる。いわゆる、嗜好物だ。ラカンのいう対象a。しかし、感性が感性である限り、それは、そのものをつかむことはできず、絶えずカラ回りし続ける。それが、シオリズムがいうところの欲望の馬人参。
  
その意味で言うなら、おそらく、人間の外面の顕在化とは、己自身の欲望の根拠を見出すことと同じ。自由の現実化の段階に入る、ということなのだろう。
 
そう言えば、最近は、物に対する欲望がほとんどない。。
 
単なる年のせいもあるけどね(笑)

人間の外面と内面
ケイブコンパスとフロイトの心理発達論