前回の〔3〕で書いた「位置の変換」という概念のフレームワークを簡単に図示すると下図のようになる。
これは持続(精神)が〈物(物質)〉として現前してくる最も根底的な仕組みを表している。ブルーの線が持続、自他の協同によって形作られる球体が〈物〉を表すと思ってもらえばよい。
わたしたちの意識においては、〈物〉は時間と空間の中でしか現前してこないわけだが、持続はSU(2)の編み目を通じて、時間と空間という結果を作り出し、その結果の中で原因の編み目の方を〈物〉として表現する。
ハイデガー風に言うなら、これは「現前するもの」と「現前すること」の一致と言えるだろう。わたしたちは持続空間をこのようにトポロジカルに思考することよって初めて、いかなる媒介や綜合もなしに〈物〉をそれ自らで存在させることができてくる。
実際、このSU(2)は、〈物〉の母胎である陽子や中性子の構成原理になっている。
いや、正確に言うなら、物質の根底にあるこうした構造がわたしたちに意識が生じる条件を与えている、と言ったほうがいい。わたしたちは〈物〉によって〈物〉の方へと誘われている存在なのだ。意識は”そこで”生じている。
わたしたちは今まで霊魂を「目に見えない」ものとしていろいろな言葉で語ってきた。こうした形而上学が常に「悪しき形而上学」で終わってきたのも、その「見えなさ」を単なるイマジネーションの中に思い描こうとしてきたからだろう。
しかし、その「見えなさ」の正体とは、実は奥行きであったということ。そして、それは持続であったということ。そこにはわたしたち自身の生の息づきがあられもない高次の幾何学として地理化されている。
今こそ、新しい〈知識(グノーシス)〉を!!
8月 16 2017
今こそ、新しい〈知識(グノーシス)〉を!!
前回の〔3〕で書いた「位置の変換」という概念のフレームワークを簡単に図示すると下図のようになる。
これは持続(精神)が〈物(物質)〉として現前してくる最も根底的な仕組みを表している。ブルーの線が持続、自他の協同によって形作られる球体が〈物〉を表すと思ってもらえばよい。
わたしたちの意識においては、〈物〉は時間と空間の中でしか現前してこないわけだが、持続はSU(2)の編み目を通じて、時間と空間という結果を作り出し、その結果の中で原因の編み目の方を〈物〉として表現する。
ハイデガー風に言うなら、これは「現前するもの」と「現前すること」の一致と言えるだろう。わたしたちは持続空間をこのようにトポロジカルに思考することよって初めて、いかなる媒介や綜合もなしに〈物〉をそれ自らで存在させることができてくる。
実際、このSU(2)は、〈物〉の母胎である陽子や中性子の構成原理になっている。
いや、正確に言うなら、物質の根底にあるこうした構造がわたしたちに意識が生じる条件を与えている、と言ったほうがいい。わたしたちは〈物〉によって〈物〉の方へと誘われている存在なのだ。意識は”そこで”生じている。
わたしたちは今まで霊魂を「目に見えない」ものとしていろいろな言葉で語ってきた。こうした形而上学が常に「悪しき形而上学」で終わってきたのも、その「見えなさ」を単なるイマジネーションの中に思い描こうとしてきたからだろう。
しかし、その「見えなさ」の正体とは、実は奥行きであったということ。そして、それは持続であったということ。そこにはわたしたち自身の生の息づきがあられもない高次の幾何学として地理化されている。
今こそ、新しい〈知識(グノーシス)〉を!!
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2)