シュタイナーとのコラボで分かったことの一つとして

延長空間の中で局所的に固定されている物質的身体と、持続空間の中で比局所的に遍在している精神的身体。精神的身体の方は単に自己領域のみにとどまらず、他者領域にまでその持続性を拡大させている。これら両者の相互関係の中に一般にわたしたちが「意識」と呼ぶものの構成が組織化されている。
 
物理学が局所的ゲージ対称性と呼ぶものの本質はこの組織化のことである。局所的の局所は時空的位置、ゲージ対称性は大局的対称性の場合、非局所的な内部空間における回転対称性のことをいう。両者をつなぐ働きをしているのがボゾンではないかと思われる。分かりやすく言うなら、このボゾンが「ここにいながら、あの日のあそこのことを想える」わたしたち人間の意識の様々な営みを支えているのだ。
 
今回、シュタイナーとのコラボ本の中の作業で、シュタイナーのいう物質体・エーテル体・アストラル体・自我の構成と素粒子のゲージ対称性との比較を丁寧に行っていったのだが、感覚魂・悟性魂・意識魂というシュタイナーの霊学的な概念を組み合わせると、両者の構造が実はほとんど同じような構成秩序で出来ているということが分かった。
 
この比較の中で特筆すべきことは、シュタイナーのいう感覚魂と悟性魂のもとになる力が実はわたしたちが空間と時間と呼んでいるものに対応してくるということだ。これは極めて重要な内容だと感じている。何が言いたいかというと、わたしたちが空間と時間と呼んでいるものは「本来、内在的なものだ」ということ。
 
それを外在としてしか見れていないところに人間の世界に対する認識の転倒のすべてがある。哲学の言葉でいうなら、自分自身の内在性から客観という超越に至るルートが見えていないのだ。哲学が未だに素朴実在論を喝破できていない理由もここにある。
 
外在世界などといった外の世界など本当は存在していない。祖先以前性を客観的な事実として前提にしている科学が持った素朴実在論の世界像はそのほとんどが幻想にすぎない。
 
人類の起源、進化論、生命の起源、太陽系の起源、物質の起源etc。これらは外在の物質世界に求められる問題ではなく、人間の内在性から明らかにされていかなくてはならない問題だ。
 
幅の空間認識から、奥行きの空間認識への移行を果たした知性は、これらの謎を物心一体の世界観のもとに鮮やかに解き明かしていくことになるだろう。
 
シュタイナー的にいうなら、意識魂の目覚めがもうすぐそこまで来ているということ。空間がエーテル空間へと反転し、空間自体が精神と化していく時代がまもなくやってくると思う。

ルドルフ・シュタイナー