ヌースフィアとしての地球に出るために

地球は1自転して1日。一般化している時計は短針が2回転して1日。1日を24等分したのは古代エジプト人たちだ。しかし、なぜ黄道12宮に同調した12等分ではダメだったのか。たとえ彼らの無意識がそうさせたにせよ、ここには現代人には想像もつかない深い意図が隠されている。
 
そもそもなぜ地球は回っているのか。それを考えなくてはならない。そこでは昼と夜が交替し、覚醒と眠りが交替し、自己における社会的個と精神的個の役割が交替する。OCOT情報はこうした2極間を交替化させていく力のことを「精神」と呼んでいる。
 
つまり、地球の1日もまた「精神」の表現なのである。
 
昼の間、人は社会的動物になる。事物は太陽のもとに明るみに出され、人はそこで言語活動を営む。夜間、人は精神的動物となり、本来の自己と向き合う。一人部屋の中で、または眠りの中で、または夢の中で。
 
ここには意識の反復がある。昼半球と夜半球は単に物理的に光と闇のヴェールとして地球を覆っているわけではない。そこには魂的な空間が重なって”在る”のだ。昼は他者世界に呑み込まれ、夜は自己の巣へと戻るという魂における振動の空間が。
 
この空間をアグエイアス(シャルダン)のように精神圏(ヌースフィア)と呼んでいいかもしれない。昼とは他者、夜とは自己と見なせば、このヌースフィアにおいて魂は常に自己領域と他者領域の間をめぐって生きていることになる。
 
ここにさっき言った「2回転して元の位置に戻る」という精神の特性があると考えてみてはどうだろう。一回転では世界は完結しない。そこには自分とは異なるものを巡る周回が必要なのだ。そして、重要なことは、この2回転で完結している、真の自己を発見することだ。
 
その意味でいうなら、ヌースフィアとしての地球の1自転の中には通常の回転での2回転分が含まれてると考えなくてはいけないのかもしれない。そして、古代エジプト人たちはそのことに薄っすらと気づいていた。。いや、その記憶を持っていたと云うべきか。
 
ガイア仮説以降、地球意識なる言葉が今では普通に横行しているが、この「意識」という言葉を従来の人間型ゲシュタルト(物質の複雑な組成から意識が発生するといったような)で連想してはいけない。ヌースフィアの空間がもし「2回転して元の位置に戻る」ような特性を持つなら、それは4次元空間だ。
 
この点に関してOCOT情報は面白いことを言っている。
 
―地球とは陽子と同じものです―
 
このことの意味が分かれば、おそらく、わたしたちは銀河の住人となることができるだろう。
 
内へ、果てしなく内へ。
 
星々はそこにある。
  
そして、そこはまた地上でもある。
  
それが彼らが「オリオン」と呼ぶ場所である。

ヌースフィア