サタンからジュピターへ

君が奥行きで世界を感じとっているとき、そこは密閉されたモナドの内部である。しかし、君が幅で世界を感じ取っているときは、君はそこからはじき出され、君自身のモナドをミクロ世界の中に見ることになる。この通り抜けの空間感覚に敏感になることが必要だ。君は小人でもあり巨人でもあるのだ。
 
デカルトは魂と肉体が点的な場所で接すると考え、それを松果体の位置とした。しかし、それではまだ幅好きの巨人の意識に支配されたものの見方だ。松果体の本質は特異点としての無限遠点である。物質世界と魂はそこで接している。
 
肉体は日々、この接点における巨大でもあり微細でもある振動を感知している。呼吸という活動もまたこの二つの領域をまたぐ反復を担っているのだ。熱せられるか冷やされるか、消滅するか出現するか、そして、生きるか死ぬか。
 
わたしたちは皆、魂を持つ。それを忘れてはいけない。
 
「観点の球面化」とはモナドの輪郭をトレースしていく原初のヌースの運動である。このときの球体の中心点は非局所的点となる。この運動の物理学的表現が大局的位相変換ψ’=e^iθ・ψだろう。この操作は時空上のすべての点の位相を一斉に同じ大きさだけ変化させる。非局所なのだから当たり前だ。
 
意識は経験や学習など部分の寄せ集めによって生まれるのではない。それは最初から非局所として働く大局的な能力であり、全体の状況を瞬時にして考慮することができるものなのだ。こうした意識の特性を素粒子ほど如実に表現している現象野は存在しない。魂は収縮して現れる。それを推して知るべし。
 
人間の知の最大の障壁は素粒子が未だに物質と見なされていること。それに尽きる。今のわたしたちに一番必要なのは空間に対するゲシュタルト変革だ。幅から奥行きへ。土星の巨人族から木星の小人族へ。そう、サタンからジュピターへ。クロノスとアイオーンの戦いは始まっている。

サタン・ジュピター