6月 16 2016
ヌーソロジーのBABYMETAL化は果たして可能なのか
時間には流れる時間と揺らぐことのない停留する時間の二つの種族がある。時間を組織化しているのは言うまでもなくこの停留地帯の方なのだけど、残念なことに物理学には時間の停留という概念がない。それを持ち込めば、素粒子領域が時間的分散と組織化のうちに循環するものとして見えてくるはずだ。
このイメージは数学的には複素数の世界と実数の世界、経験としては非局所と局所知覚の絡み合いとして意識に浮き上がってくることになるが、ここには同時に自己意識における分離と同一化の意味も重なっている。「もの自体」を見るためには、少なくともこのトポロジー知覚は必須だろう。
わたしはわたしをわたし自身から対立させ、分離させている。そして、結果的にこの対立させられたものにおいて私を私として認識する。これが自己意識が成り立つ仕組みだ。この分離関係がそのまま時空と内部空間の関係に現れていると見なすなら、時空は経験的自我であり、素粒子は超越論的自我である。
これは、ヌーソロジーでいう「付帯質の外面」と「付帯質の内面への方向性」の関係に当たる。中和された力とその裏で潜在的に変換として働く等化の力の関係だ。
いずれにしろ、内部を外部に移すことのできる思考方法が必要だ。時間を空間化させ、精神を外化させて論じることができるプラットフォームを作り上げていくこと。奥行き=虚軸=持続体という概念はその場所の出現を告げ知らせる雷鳴のようなものだと思っている。
時空が経験的自我で、素粒子が超越論的自我であるのならば、原子とはこの両者の関係を調停した者たちの姿だと言えるだろう。それを「霊=イデア」と呼んでも何ら差し支えない。真なる自然がそこに直立している。その方向に人間の未来がある。その未来へと思考を向かわせること。
さて、最大の難題はこうした世界ビジョンをどのようにしてBABYMETAL化させていくかなのだが。。。まだ、わ、わからん。むずっ!!(笑)
※下写真はBABYMETAL – Road of Resistance (UNOFFICIAL) short ver.https://www.youtube.com/watch?v=N5NhzwNvfM4 の一部からお借りして作成しています。
空
2016年6月19日 @ 20:11
私はヌーソロジーを理解出来ていないのですが、公宣さんのおっしゃっていることが何となくわかります。
解からないのは、単語がわかっていないからです。笑
だから、単語を調べ調べしながら、それでも解からないところはスルーしていますが、ここの記事やツイッターを読むと、いつも「そうだ、そうだ」とブルブル震えてしまいます。
だいぶ単語にもなれてきましたよ。
たぶん、このような方がたくさんいらっしゃるはずです。
だから、すでにヌーソロジーの音楽は鳴っているし届いていると思います。
さて、
BABYMETAL化させるためには、
コウメタルの、あのようなダンスだと思います。
これで聴衆は ドキドキ モーニングです。
いやいや、逸れてしまいました。 謝り
公宣さんは先頭に立って引っ張っている。
あとは、私たちがその空間を開いて、そこにある点を立ち上げることだと思います。
そう成った者同士が、自由自在にダンスし出す。
ヌーソロジーは知識ではなく、ダンサーなのだ。
それが、ヌーシストだ。 ゼッタイ。
kohsen
2016年7月29日 @ 11:13
ヌーソロジーは知識ではなく、ダンサーなのだ。——いいですね。僕もそう思います。精神はすべての帯域において旋回しています。旋回はリズムです。だから、思考もリズムなんですね。踊っている。BABYMETALのパフォーマンスにはいつも勇気づけられています。
幾千もの夜を超えて
生き続ける愛があるから
この身体が滅びるまで
命が消えるまで
守りつづけてゆく
これがヌーシストの眼差しですね。
ヌースよ、踊れ!!(笑)
空
2016年8月6日 @ 17:39
広宣さん、いつもありがとうございます。
ツイッター読んで思いました。
自己モナドを発見したら、それが即「全体のモナド」なのではないかと思いました。
つまり、全てのものは自立しているけど、それは全て「ONEモナド」から起こってくるのではないかと思いました。
風に揺れている街路樹も、歩いている人も、完全に自立しているけれど、「ONEモナド」からのもの。
このとき初めて「君と、君の君」から、「わたしとわたし」に成っているのではないかと思いました。
そう成った者同士が、連携していく道中が楽しみです。
珍プレ~のはずです。
この人達なにやってんの~ ぷぷぷ。