ヌーソロジーのBABYMETAL化は果たして可能なのか

時間には流れる時間と揺らぐことのない停留する時間の二つの種族がある。時間を組織化しているのは言うまでもなくこの停留地帯の方なのだけど、残念なことに物理学には時間の停留という概念がない。それを持ち込めば、素粒子領域が時間的分散と組織化のうちに循環するものとして見えてくるはずだ。
 
このイメージは数学的には複素数の世界と実数の世界、経験としては非局所と局所知覚の絡み合いとして意識に浮き上がってくることになるが、ここには同時に自己意識における分離と同一化の意味も重なっている。「もの自体」を見るためには、少なくともこのトポロジー知覚は必須だろう。
 
わたしはわたしをわたし自身から対立させ、分離させている。そして、結果的にこの対立させられたものにおいて私を私として認識する。これが自己意識が成り立つ仕組みだ。この分離関係がそのまま時空と内部空間の関係に現れていると見なすなら、時空は経験的自我であり、素粒子は超越論的自我である。
 
これは、ヌーソロジーでいう「付帯質の外面」と「付帯質の内面への方向性」の関係に当たる。中和された力とその裏で潜在的に変換として働く等化の力の関係だ。
 
いずれにしろ、内部を外部に移すことのできる思考方法が必要だ。時間を空間化させ、精神を外化させて論じることができるプラットフォームを作り上げていくこと。奥行き=虚軸=持続体という概念はその場所の出現を告げ知らせる雷鳴のようなものだと思っている。
 
時空が経験的自我で、素粒子が超越論的自我であるのならば、原子とはこの両者の関係を調停した者たちの姿だと言えるだろう。それを「霊=イデア」と呼んでも何ら差し支えない。真なる自然がそこに直立している。その方向に人間の未来がある。その未来へと思考を向かわせること。
 
さて、最大の難題はこうした世界ビジョンをどのようにしてBABYMETAL化させていくかなのだが。。。まだ、わ、わからん。むずっ!!(笑)
 
※下写真はBABYMETAL – Road of Resistance (UNOFFICIAL) short ver.https://www.youtube.com/watch?v=N5NhzwNvfM4 の一部からお借りして作成しています。

Road of Resistance