反重力的なものへ

重力や電磁力が物体に作用する力と思い込んでいる人たちが多いが、それは同時に僕らの精神にも作用している。シモーヌ・ヴェイユがかつて言ったように、重力は物体を落下させるだけではなく、僕らの精神をも落下させている。
 
人間とは本来、この落下に抗うべき存在として生きる者のことを言う。言うなれば反-自然的存在なのだ。ヴェイユはそれを恩寵と呼び、重力に対する光の働きの意味を持たせた。
 
重力と光の界面で今日も人は生きる。
 
重力とは存在の力だ。すべての存在者は重力のもとに姿を表す。在るものを在らしめている力があからさまに露呈したとき、わたしたちはそれを「ない」と呼んでいる。存在は人間の世界には「ないこと」として現れるのだ。すなわち「無」。落下とは限りなく、この無へと漸近していく運動のことをいう。
 
物理的力は言うまでもなく、経済力、軍事力、政治力等、今の人間が力と呼ぶものは、そのほとんどがこの無への欲動が作り出している。そこにヴェイユのいう恩寵はない。
 
重力が偽神の力であるということをわたしたちは見破らないといけない。「すべてが一つ」などといった戯言を言わせているのもこの偽神だ。反重力的に生き、反重力的に他者と接していくこと。そこに真の意味での力への意志があり、その力の意志のもとに恩寵の光がある。
 
誤解を生まないように一つだけ補足しておこう。「すべてが一つ」と宣言できるのは、すべてを創造し、真の無へと至った者のみだということ。そして、その言葉はもちろん沈黙として訪れるということ。

シモーヌ・ヴェイユ