イシスの作業――円の内部と外部の分割(差異の顕在化)

福山で話し忘れたので補足しておきます。
 
複素空間認識を通して「見る空間」と「見られる空間」の反転関係を図示すると下図のようになります。「見る空間」がブルーの部分、「見られる空間」がレッドです。
 
「-i」に観察の位置を想定して下さい。この配置がグルッと回ると、ブルーとレッドが円の内部と外部できれいに二分されるのが分かります。
 
ここでの複素平面の回転は観測者の自転を意味しています。中心点は位置の統一化が起こっているところで、イマージュがすべて重なり合って発生しているところです。
 
観察者の自転によって分割された単位円の内部と外部の関係は、平たくいうと、自転を行なったときの観測者の「前」と「後ろ」の関係です。
 
わたしたちは「見られる」空間のみで空間を概念化しているので、「見る空間」がこのように内包空間であることに全く気づいていないのですね。ここで生まれている内包空間の構造をしっかりと概念化していくと、精神と素粒子は美しい秩序をもって合体化してきます。
 
「ミクロ(持続の世界=心)」と「マクロ=時間と空間の世界」が目の前で二重化して重なっているという意味が、これから徐々に多くの人に理解されてくるようになると思います。空間認識の劇的な変化がまもなく起こってくるということです。
 
この内容をピラミッドテキストは次のように端的に記しています。――アヌビスは水平な円であり、これにより「目に見えないもの」、すなわちネフテュスと、「目に見えるもの」、すなわちイシスが分割される。この円は光と闇の境界に存在し、光と闇に共有されている(ブルタルコス)。
 
カタカムナがいうように素粒子をココロと呼ぶなら、僕たちの世界観や人間観がココロの実在性をいかにおろそかにしているかが分かるよね。ココロをカタチあるものとして復興させていくこと。それがイシスの作業なんだよね。素粒子は物質じゃないよ。僕らのココロの基盤となっているものなんだ。
 
物理学も哲学も宗教もスピ系も単に表現の多様性の中で反目し合っているだけ。互いが互いを批判し合っても何も生み出さない。すべての知識は自我の鎧にすぎないということを再確認しないとね。その鎧を外していくための純粋思考の通路を、まっさらな一つの魂となって作り出していかないといけない。

複素空間