ポジ空間とネガ空間(人間の内面と外面)

今日はヌーソロジーの基本的な部分の話をしますね。

空間にはネガとポジの二つの形式が存在しています。問題はネガの方がまだ僕らの認識に上がってきていないということなんですね。哲学者はこのネガ空間のことを指して「差異」と呼んでますし、宗教者は「霊魂」と名付け、物理学者は「素粒子」として思考している。

このネガ空間が見出せないために、同じものをそれぞれ違う名前で呼んで、話がすごい難しいことになってしまっている。それが現在の僕らの知の状況なんだと思っています。

このように既存の認識では全く別々のものとして捉えられているものたちを「反転認識」というそれこそ雷鳴の一撃によって一つの同一のものとして見なせるような認識の在り方を作る、というのが人間の意識進化の具体的なビジョンの一つだと考えています。

反転が決行されると、空間そのものに差異が生まれます。反転してないものと反転したものとの差異です。そこから空間はこの差異を打ち消そうとする運動を開始します。両者の対称性を形作ろうとするわけですね。しかし、結果的にこの運動も反作用を生み出し、またそこに新たな差異を作り出してくる。。こうして絶えることのない差異化の運動が延々と続いていくことになるのですが、これが「創造」というものだと考えています。

人間にはまだ認識できていないネガの空間世界においては、こうした差異化の連続的なシステムが高次元の空間構造としてセットされています。それがあるから僕らには意識が生まれている。哲学の世界でいうところのアプリオリですね。シュタイナー風に言えば「体」と「霊」をつなぐ部分としての「魂」に当たります。ドゥルーズなんかはこうした領域を「潜在的なもの」と呼びます。

この「潜在的なもの」に欠かせない条件が「持続」です。エーテル体が持った働きと言っていいでしょう。時間においては「体(物質世界)」と「霊」の関係は現在(継起する時間)と持続(永遠)の関係として現れてきますが、「魂」は、この「体」と「霊」の間を取り持つものとして時間の流れを感じ取っています。

さて、ポジの空間には継起する時間しかありません。持続の働きを持っているのがネガの空間です。ですから、反転認識を持ってネガの空間を目の前に顕現させるということは持続の息づく場をカタチとして見出すということを意味します。そして、そこに持続が根付いているからには、その場こそが主体本来の場所と考えられなくてはなりません。

ここではポジ空間とネガ空間の相互反転が起こっている最も基本的な場所を図で示しておきましょうね。下図で赤と青の矢印をそれぞれ半径として回転させて作り出される二つの球空間がポジ空間とネガ空間の関係になると考えて下さい。

イメージできるとすぐに分かってくるのではないかと思いますが、普段の僕らが3次元空間と呼んでいるものはモノの手前に自分を感じることによって作り出されていますから、ネガ空間の方が全く意識に上がってきていないのが分かります。

スピ系の人たちが「世界とはわたし自身にほかならなかったのだ!! 」と感じるときの感覚は、実はこのネガ空間の存在を直観しているからだと言っていいでしょう。ネガ空間においては、見られているものは見るものと同じになっていると考えて下さい(とりあえず)。

このような二つの相互反転した空間が人間の認識に幾何学的に浮上してくることをOCOT情報では「対化の顕在化」と言っています。そして、この顕在化をスタートラインにして、今まで無意識の底に沈んでいた「魂」の世界が、連続的な差異のシステムとして明確な次元構造として浮上してきます。この次元構造を指し示す概念がヌーソロジーのいう「次元観察子」というヤツなんですね。

facebookimg46