ヌースレクチャー IN 東京 第5回、無事終了しました。今回もたくさんの方に集まっていただきココロより感謝デス。今回はライプニッツのモナドロジーを入口にしてヌーソロジーのモナド論を具体的に解説していきました。今回も延べ4時間にわたる長丁場でしたが、キモは何と言っても「観点をいかにして球面化するか」という部分の話デス。
わたしたちの身体はライプニッツ的に言えば、最も高度に組織化された複合的モナドです。そして、この身体は物質としては時空の中に包まれたものとして存在させられています。しかし、身体が世界を知覚するものとして働いているときは、身体の位置(この場合、目の位置)は世界に対する観点の役割を果たしており、世界をくまなく観察できる位置という意味において世界を「包む」ものとなっているのが分かります。物質的身体としては世界に包まれて在り、かたや精神的身体としては世界を包んで在る——身体が孕むこの両義性の中に「包まれつつ、包む」モナドとしての人間が生まれています。
今回のレクチャーで問題としたのは、この「観点」という概念の在り方です。観点には文字通り「点」という、空間に包まれるイメージが相変わらずこびりついているのが分かります。身体の位置は「包まれつつ包む」という両義的なものでありながら、わたしたちの空間認識は未だに世界を「包む」側として働いている身体空間をうまくイメージできていないのです。そこで、今回のレクチャーでは3コマ目で、この「観点」を「球面」へと反転させ、世界を包み込むイメージに変える思考方法を紹介しました。
つまりは、物質的な身体から外に広がっているように感じている外の世界(時空)を内側に丸め込む空間認識が存在しているということです。もちろん、現在のわたしたちにはその認識は無意識の中に沈み込んだままですが、それを意識に明瞭に浮上させることによって、「包まれつつ包む」というモナドの生態を正確に描像することができるようになってきます。
では、観点が球面化を果たすと認識にどのような変化が起こってくるのでしょうか——それは、一言で言えば、すべての対象が一点で重なっている空間が見えてくるということです。それがどういうことを意味するのかは、あえてここでは詳しく説明しません。簡単に言えば「どこでもここ」という非局所的な空間が知覚されてくるということです。そして、そのイメージが生まれて来きて初めて、認識は次の段階である「包みつつ包まれる」というライプニッツが神の世界として示した逆モナドの世界へと侵入していくことができるようになります。
観点が球面化し、観点が時空を包む込むようになったとき出現するもの——これがライプニッツのいう単純実体(モナド)でもあり、わたしの霊魂です。そして、ライプニッツは、この霊魂としての単純実体が他者側から発した単純実体と「共可能性(可能性を共有すること)」のもとに複合化されていくところに物質が形作られていると言っています。つまり、「包まれつつ包む」モナドから「包みつつ包まれる」逆モナドの成長のプロセスの中に神の創造空間が用意されているという筋書きです。
4時間にわたるモナド解説の後、最後に久々にNC(ヌーソロジーが用いるモナドモデル)を登場させ、モナドの成長プロセスの初期段階をアニーメーションで紹介しました(下図は静止画)。これでヌーソロジーの空間認識の基盤となるマトリックスが指し示されたことになります。そして、アニメーションが描き出すNC内部の構造変動は、現代物理学が展開する素粒子論へと一気に接続していくことになります。
次回(第6回)はいよいよ、モナドが意識を発生する仕組み——外在世界と内在世界の認識はいかにして生まれてくるのか——の解説に入っていく予定です。お楽しみに。
3月 28 2014
ヌースレクチャー2013シリーズ IN 東京 第5回 無事終了!!
ヌースレクチャー IN 東京 第5回、無事終了しました。今回もたくさんの方に集まっていただきココロより感謝デス。今回はライプニッツのモナドロジーを入口にしてヌーソロジーのモナド論を具体的に解説していきました。今回も延べ4時間にわたる長丁場でしたが、キモは何と言っても「観点をいかにして球面化するか」という部分の話デス。
わたしたちの身体はライプニッツ的に言えば、最も高度に組織化された複合的モナドです。そして、この身体は物質としては時空の中に包まれたものとして存在させられています。しかし、身体が世界を知覚するものとして働いているときは、身体の位置(この場合、目の位置)は世界に対する観点の役割を果たしており、世界をくまなく観察できる位置という意味において世界を「包む」ものとなっているのが分かります。物質的身体としては世界に包まれて在り、かたや精神的身体としては世界を包んで在る——身体が孕むこの両義性の中に「包まれつつ、包む」モナドとしての人間が生まれています。
今回のレクチャーで問題としたのは、この「観点」という概念の在り方です。観点には文字通り「点」という、空間に包まれるイメージが相変わらずこびりついているのが分かります。身体の位置は「包まれつつ包む」という両義的なものでありながら、わたしたちの空間認識は未だに世界を「包む」側として働いている身体空間をうまくイメージできていないのです。そこで、今回のレクチャーでは3コマ目で、この「観点」を「球面」へと反転させ、世界を包み込むイメージに変える思考方法を紹介しました。
つまりは、物質的な身体から外に広がっているように感じている外の世界(時空)を内側に丸め込む空間認識が存在しているということです。もちろん、現在のわたしたちにはその認識は無意識の中に沈み込んだままですが、それを意識に明瞭に浮上させることによって、「包まれつつ包む」というモナドの生態を正確に描像することができるようになってきます。
では、観点が球面化を果たすと認識にどのような変化が起こってくるのでしょうか——それは、一言で言えば、すべての対象が一点で重なっている空間が見えてくるということです。それがどういうことを意味するのかは、あえてここでは詳しく説明しません。簡単に言えば「どこでもここ」という非局所的な空間が知覚されてくるということです。そして、そのイメージが生まれて来きて初めて、認識は次の段階である「包みつつ包まれる」というライプニッツが神の世界として示した逆モナドの世界へと侵入していくことができるようになります。
観点が球面化し、観点が時空を包む込むようになったとき出現するもの——これがライプニッツのいう単純実体(モナド)でもあり、わたしの霊魂です。そして、ライプニッツは、この霊魂としての単純実体が他者側から発した単純実体と「共可能性(可能性を共有すること)」のもとに複合化されていくところに物質が形作られていると言っています。つまり、「包まれつつ包む」モナドから「包みつつ包まれる」逆モナドの成長のプロセスの中に神の創造空間が用意されているという筋書きです。
4時間にわたるモナド解説の後、最後に久々にNC(ヌーソロジーが用いるモナドモデル)を登場させ、モナドの成長プロセスの初期段階をアニーメーションで紹介しました(下図は静止画)。これでヌーソロジーの空間認識の基盤となるマトリックスが指し示されたことになります。そして、アニメーションが描き出すNC内部の構造変動は、現代物理学が展開する素粒子論へと一気に接続していくことになります。
次回(第6回)はいよいよ、モナドが意識を発生する仕組み——外在世界と内在世界の認識はいかにして生まれてくるのか——の解説に入っていく予定です。お楽しみに。
By kohsen • 02_イベント・レクチャー • 0 • Tags: モナド, ライプニッツ