奥行きの彼方に

「奥行き」がもし持続の位置だとするならば、「奥行き」で空間を見るということは永遠の相のもとで世界を見るということになります。永遠の相の中に出現する奥行きの幾何学。これが魂の構造を規定していきます。そして、この魂の構造を思考するときは「それは何か」という問い立てはたぶん厳禁です。

ドゥルーズに倣えばそれはたぶん「それは誰か」と問わなくてはなりません。それはわたしだったり、あなただったり、ときに彼らであったり、わたしたちであったりするのです。「それは何か」と問うことは相も変わらず「わたし」の中から出ていない思考だということです。

その意味で魂の構造は人称の構造をそのベースにおいていると見るのが正当なのかもしれません。それら相互の関係性の中に「わたし」が出現してくるのです。

その意味で言えば、やがて登場してくる魂の幾何学は星座に似ていると言えるのかもしれません。昔の船乗りたちが星々によって自分の船の位置を確かめたように、「わたし」はあなたやわたしたちや彼らの位置を常に反照することによって「わたし」の位置を確かめているのです。

人が航海している海は内在の海です。おそらく外在には「わたし」しかいないのです。そこは星なき夜空のようなもの。だから「あなた」との出会いを期待してもいつもすれ違ってしまう。こうしたすれ違いは内在の海で起こっていることを外在で起こっているかのように錯覚してしまっているからでしょう。

魂の幾何学はその意味で内在の果てしない海を航海していくための羅針盤の役割を果たしていくのではないかと思います。その航海が進んでいくと、海原にきらめく星影のように星と海は一つに溶け合い、かつてのわたしはもはや地球と銀河の語らいの中の一つの「声」となって、生成の歌音を響かせるのデス。

甘ったるいな。(≧≦)