5月 30 2012
道徳VS倫理
道徳とはルサンチマンであるとニーチェは言った。それは分かりやすく言えば、娼婦に石を投げつけること。娼婦が美しければ美しいほど、石はその数を増す。こうした風景は今も世間のあちこちで見ることができる。聖書の時代から何も変わっていない。
道徳というものには何一つ根拠がない。それは超越的に天下ってくる『汝、善を為せ』という命令に等しい。国家であれ、社会であれ、組織であれ、人間がひとたび集団に属するや否や、こうした超自我的な号令があちこちに響き渡る。
一方、人の心の中には「汝、そんな善は為すなかれ」と叫んでいる声がある。こうした声を僕は道徳と区別して「倫理」と呼んでいる。倫理もまたその根拠が不明だから超越的であることに違いはないのだが、倫理には全体だけではなく部分のことを考える慎ましさがある。その慎ましさゆえに、倫理はいつも道徳に押さえ込まれてしまうのだが。。
道徳の体制は強烈だ。スピノザはこの体制を支える三種類の人物を挙げる。まずは悲しみの受動的感情にとらえられた人間たち。次に、こうした人間たちを利用して自己の権力基盤とする人間たち。最後がそうした人間たちに憤慨したり、嘲笑を浴びせかけたり、同情したりする傍観者的な人間たち。
スピノザにとって、これら三種類の人間たちは順に[奴隷]と[暴君]と[聖職者]であり、彼らが三位一体となって道徳の体制を確固たるものにする。
倫理は果たして道徳に反撃を開始できるのか。そのためには倫理の根拠を見出さないといけない。倫理を永遠の必然性として自然に受容することができる精神が必要なのだ。それは哲学者たちが長きにわたり挑んできたテーマでもあるのだけど、もはや哲学はそれを諦めた(かのように見える)。哲学の死だ。
でも、僕はそれが科学の中から現れてくると考えている。いや、科学しか道徳の体制を駆逐できないのではないかと。だから僕にとってヘルメス知とは科学のことである。もちろん、そこには反転のスパイスが必要とはなるが。。
科学が倫理的価値に根拠を与えることなど不可能だとたぶん誰もが思うに違いない。モノの世界と心の世界は全く別ものなのだから、人間の善悪を科学が判断することなんてできるわけないない。ましてや科学の屋台骨は唯物論だ。
科学的価値観が説得力を持てば持つほど倫理の根拠は薄弱になり、世界は荒廃していくに決まってる。と。それがたぶん世間一般の常識だろう。しかし、これもまた道徳が仕掛けているワナだ。
道徳は物質と精神を分離したがる。そして、事実、体制は世の中をそのようにアレンジメントしている。しかし、物質と心は僕らの予期せぬところで繋がっている。倫理の沸き出し口はまさにそこなのだ。もちろんその繋がり方は今の科学では分かっていない。
しかし、望むと望まざるにかかわらず科学はもうすぐその要請に迫られてくる。もうすぐ。
BACH REVOLUTION
2012年6月8日 @ 21:06
よく例えておられる、ビオスとゾーエーということでもあるのでしょうか。何かこう、全て奴隷のような、または道具という感じがしないでもありませんが。これは、救われるべきは魂ではなく、あがなわれるべきはモノの方というのにも、つながっているのでしょうか。アンチマテリアル(マター)の事項にもつながっているのかと感じます。
ZEUSUS
2012年6月19日 @ 00:16
はじめまして
「人神」と「シリウス革命」拝読したものです。が。
小生は難しい話は理解出来ないオバカでアマチュア的に考古学を学んでおります。(自称「精神考古学」と言います)
失礼な質問かもしれませんがヌーソロジーというものは卵から生まれて親の顔も知らず、鏡を見たわけでもないのに最終的に仲間を認知し群れを形成する魚の能力のようなものと解してよろしいでしょうか。(魚のみならずですが)
また、幾何学的問題として昨今の太陽の四重極構造ですが、これは「垂直変化」即ち次元の遷移の徴と捉えるという考え方はどう思いますでしょうか。
「古代人の見えているものが今と違っていたのでは」というアプローチから遺物を漁っている怪しいアマチュア考古学者からの質問でした。
kohsen
2012年6月19日 @ 12:25
>BACH REVOLUTIONさんへ
主人と奴隷の二分化の原理を人間個々の魂が背負わされている、という意味ではそういうことになるのかもしれません。世の中自体、そうした原理が浮き彫りにされてきているような気もします。
昔、とある詩人が「物質とは聖杯である」と言っていたのですが、彼の言い分が正しければ、あがなわれるべきはモノであって、決して魂などではないと言えるでしょう。放射能の問題一つとっても物質の罪は相当なもののように思えるので。もちろん、魂は物質でもあるのですが。。
>ZEUSUSさんへ
古代においては人間の魂は魚に喩えられていましたね。
言い得て妙だと思います。ほとんどの魚は目が左右に分れていて、「横」しか見ていない。。人間も同じですね。
そうした世界から出るための能力を身につけるのがヌーソロジーだとは考えていますが。。
太陽での双対磁極の発生はその通りだと思います。
無意識がニ値論理に飽きて、四値論理的なものの発生を促しているのではないでしょうか。
「古代人の見えているものが今と違っていたのでは」——
全く同じ意見です。
ZEUSUS
2012年6月20日 @ 20:01
拝啓 最早直々のレスコメありがとうございます。
広宣さんに比したるは恐縮なのですが、ヌーソロジーが「グラマー(文法)」であるとするならば小生は何となく「センテンス・イディオム・ワード(つまり断片)」を考古学的遺物を通して拾い集めているような気がします。
言語習得の方法には文法を学ぶか力技で単語を詰め込むかという二通りのアプローチがあると思います。前者がヌーソロジーで後者が小生の行っている事のような気がします。お役に立つか解りませんが、小生の見つけたイディオム・ワードと思われるものを二つばかり報告しておきます。
「ギリシャのアテネは神話通りの位置に存在する」アフリカ大陸が何に見えるか、ということです。高次元位相幾何学を使用すれば時と場所の意味があまり意味を成さなくなるという事を真なりとするならば、単なる偶然と言い切れなくなってくるのではと。
もう一つ。「人神」内で示されている二つのプレートの傾きは19.47・・・(多分無理数)度であると分析しました。
あくまで個人的調査分析結果でお役に立てるかどうかですが。。。もしかして「今頃?今更?」とかセミナー等の内容と重複しているなら申し訳ありません。
というかそもそも全然違ってたりして(^^;)それならば荒らしとしての謝罪申し上げておきます。ではでは。
diro
2012年7月30日 @ 21:23
ヌーソロジーの皆さん、お久しぶりです。
ぢろうです。
昨日、反原発集会に参加してきました。
各メディアでも映像を交えて大きく取り上げられていたので、デモの様子をテレビで見たかもしれません。
日比谷公園から東京電力の本社ビルの前を通って、国会までデモ行進をしました。
そして夜の7時から国会を取り囲んで、皆でロウソクやペンライトをかざして、反原発を訴えました。
大勢の人が集まっていました。数万人の人々です。
若い人、年老いた人、カップル、休み中の警官、子供を連れた家族連れ・・・。
楽器を大きく打ち鳴らして、皆で声を一つにして
「再稼動反対」
「原発要らない」
「大飯を止めろ」
と声高に叫びました。
誰一人知らない人ばかりでしたが、周囲の人と心が通い合い、一つになる経験をしました。
大勢の人々が集まってマインドを結束し、声を一つにしたときに発せられる何者をも太刀打ちできない圧倒的なパワーを感じました。
大地を揺るがすようなエネルギーでした。
ものすごい臨場感でした。
これが集合意識の力だと実感しました。
着てよかったと思いました。
やはり私たちは何もできない無力な存在ではないと思いました。
決意し、行動することで、実際に世界を変えることができると思いました。
デモの効果は測ることはできませんが、やはりこのような行動には価値があると思いました。
広島の新聞社のインタビューも受けました。
「デモは初めてですか」。
「核兵器と原子力についてどう思いますか」。
と聞かれました。
普段から考えていたことをしっかりと伝えました。核分裂産業への反対の意志です。
記者の方も熱心に聞いてくれました。
マイトレーヤは、絶えず人々を鼓舞して、デモ行進をするように促しています。
その理由を実感しました。
私たちが、創造主として、新しい世界を創造していくのだということです。
BACH REVOLUTION
2012年8月16日 @ 00:43
Thanks for taking the time to see me.It's just a little thanks.オリンピック閉会しましたが、さすがに「NO FUTURE」と叫ぶミュージシャンはいませんでしたね。希望がないかもしれませんが、原発のことをはじめ、現在のままだとやはりノーフューチャーだと思います。Thanks for asking.It's pretty hot these days,so take care.
BACH REVOLUTION
2012年8月16日 @ 01:00
度々お邪魔します。ツィッターの方は、速度.内容となかなかついていけないですが、木星、天王星のことが出ていましたが、ヌーソロジーでは違うでしょうが、木星を剣、天王星を勾玉.もうひとつの意味的地球と観る観点[正確でないかもしれないのであしからず]もあるようです。Thanks for asking.
BACH REVOLUTION
2012年8月19日 @ 21:46
失礼します。二分化、二極化対立から別な方へというのは、喩えが合ってないでしょうが、アウトノミアモーメントや、アウトノミアクレアティバ、また、その他違うモーメントになっていくのかと思いました。太陽の熱核反応が2013年から徐々に減衰し始めること、赤ちゃんが生まれなくなることも、既に始まっていると感じています。そして放射能のことですが、核分裂とは、全精神体を分裂させようとする力の介入で、存在の引き裂きとも言える、とありました。原子力は、原子力と言うのだけど、原子崩壊力であるのだと、今更ながら思いました。そしてcavesyndromeのOCOT情報で、対化の歪みを人間の意識自らが是正すれば、同位体はすべて消滅し、放射能は存在の必要をなくす、とありましたが、これは原発のウランからの放射能には当てはまらないのでしょうか。除染は移染にすぎないのでしょうが、その除染さえ一部取り組まれている人々を除き遅れているので、拙速ですがそう思いました。やはりウラン燃料からの場合とは違ってくるのでしょうか。或いは、同時進行でしょうか。そう思いました。
diro
2012年8月20日 @ 00:45
核分裂に替わる新しいエネルギーの手段は、核融合です。
核融合にはいくつかのアプローチがあり、そのすべてが可能です。
しかしハイアラキーの覚者方が提唱する方法はまだ誰も発見していないとのことです。
どこにでも存在する水の同位元素を用いた方法です。
安全で廃棄物のない方法です。
さらに核融合の研究が進まないのは、石油産業と核分裂産業からの妨害行為があるからです。
収入源が途絶えたり、自分の権力が脅かされることを嫌がる人は、多いのです。
この分野の研究は、疑似科学というレッテルを貼られています。
研究のための十分な予算を確保するのが難しい状況が生まれています。
しかしながら、分かち合いの原則に基づいた経済制度が、このような自己保存、収入源が途絶える恐怖、権力を失うことへの恐怖を取り除くことが期待できます。
核分裂に替わる新しいエネルギーを得る方法に関心をお持ちの方は、シェア・インターナショナルの2011年六月号=未来のエネルギーを読まれることをお勧めします。
http://sharejapan.org/sinews/magazines/rwhnd8/6g7xbj/zpephh/j79d8l
BACH REVOLUTION
2012年8月26日 @ 11:57
お邪魔します。対化の歪みというのは、やはり融解、転倒の極限なのでしょうか。あるいは、極限に至る全て?そういうイメージがわいてきます。
kohsen
2012年8月31日 @ 13:46
BACH REVOLUTIONさん、こんにちは。
僕がOCOT情報を取ったのは1989〜1995年までの間なので、
今のような日本の状況は予想だにしてませんでした。
当時の放射能に関するメモを見ると、
——人間の意識に「覚醒」が起これば、放射能はすべて消滅します——とありますね。
「すべて」ですから、現在、日本を汚している放射性物質も含んでいると思いますよ。
問題は、OCOT情報のいう「覚醒」とは何のこっちゃ?ということですね。
diro
2012年9月2日 @ 21:05
UFOの乗組員は、放射能を中和する術を知っておられます。
彼らはその技術を使って、福島事故の放射能の大部分をすでに取り除いてくださったそうです。
カルマの法則の許す範囲で。
福島事故の後、福島上空で多数のUFO群が目撃されており、ユーチューブにはその模様が撮影され、投稿されています。
放射能を取り除く術が存在することは間違いないので、地球の科学者がそれを発見することは可能でしょう。
しかし、現在の地球の科学者ではそれはまだ難しいかもしれません。
核融合については、すでにハイアラキーの覚者方がその情報を想念帯=マインドベルトに送り出しています。
地球の科学者が、瞑想を通して、その想念に波長を合わせ、マインドを経由して肉体頭脳に下ろしてくることができれば、核融合がいかにして可能になるのかについての詳細な情報を獲得することができるでしょう。
原子爆弾の製造の秘密もこのようにしてハイアラキーの覚者方によって連合国の科学者の頭脳に明かされました。
半田さんは、オコツトという冥王星の覚者とメンタル・テレパシーによって新しい宇宙科学理論の「通信教育」を受講されたのでしょう。
覚者方は、通常、肉体で現れるという手法よりも、テレパシー通信、マインドの印象付けによって世界の弟子たちに働きかけます。
神智学徒の観点から私はそのように解釈しています。
BACH REVOLUTION
2012年9月8日 @ 15:48
お邪魔しない方がいいかもしれませんが、お邪魔します。ヒッグス粒子(ほぼ)の報告もありましたが、あの規模の装置を用いて研究がなされていますが、それなら放射能の方も同じように研究できないかと、ついつい思って、あれこれ考えてしまいます。こう言うと、現場の物理学者や、皆さんに笑われるかもしれません。でも量子力学に、関心を多少なりとも持っているので。でも、自分の場合のように、学歴学校歴がないと、数式になってくると厳しいかもしれません。ヌーソロジーでは、究極の粒子を重視するより、そう来る背景や関係性の方を重視されていると思います。量子力学の方は、核で止まってしまっているのかなあと感じていたこともあり、拙速稚拙ですが、あれこれとお邪魔しました。何か次の技術や装置が発明されれば完了ではなく、それらが出てくる文明の目標目的みたいな背景が違うものでないと、出てこないかもしれません。電気(電気だけではないはず)も陽電子が予見されていますが、方向性が変われば、身体の電気も、雷様の電気も変わると思うので。ヌーソロジーが、何かこう、次のスコラ、学びや、テラ子屋になっていくといいなあと思います。ヌーソロジーでは生命の自然発生説はどうでしょう
BACH REVOLUTION
2012年9月8日 @ 15:58
(終わりの方とぎれたのでその続きです、お返事も何もなくて結構ですのであしからず。)
ヌーソロジーでは、生命自然発生説はどうでしょうか。そういうこともあれこれ考えました。カムナガラ‥…アアアナカシコ、アオニヤシ‥…お邪魔しました。