4月 28 2011
圧倒的な暴力の彼方に
「二度あることは三度ある」とはフクシマのために用意された言葉なのだろうか。スリーマイル、チェルノブイリ、そしてフクシマ——。このフクシマが「三度の目の正直」ならば、事態はおそらく予想通りの展開を見せていくことになるだろう。それが最善のシナリオなのか最悪のシナリオなのかそんなことは問題ではない。事態はとにかく予想通りの展開を辿り、いい意味でも悪い意味でも人間の歴史はこのフクシマを不連続点として別の時間軸へと移行していくはずである。なぜなら、現在、フクシマから進行している地球規模の放射能汚染とは存在の裂け目の地上への降臨にほかならないからだ。
核分裂がウラニウムから生起するということの意味について考えてみるといい。ウラニウムとは自然界が生み出した最終的な元素である。「上にあるが如く下にかくあり」というヘルメス知を持ってこのウラニウムの正体を探るならば、それは存在世界自体を支える全精神体の影のようなものと言える。核分裂とは文字通りこの全精神体を分裂させようとする力の介入である。それは存在の引き裂きと言い換えてもいいだろう。存在の裂け目が開くとき、そこには深淵が顔を覗かせる。ポストフクシマというこれからの時間において人間の先に待っているのはまさにこの深淵なのである。
全精神体の引き裂きとそこで流される夥しい量の精神の血を直視すること。われわれは今まさに殺害されつつある神を目撃しているのだ。刺客は他ならぬわれわれ人間自身が持った物質的欲望である。言うまでもないことだが、神の活力が死に至らしめられれば生命の秩序は木っ端みじんに解体されていく。事実、核分裂がもたらす放射能の暴力がいかに圧倒的なものであるかをわれわれはすでに知っている。連中には空間も時間も関係ない。連中は音も光も熱も発することなく、ただただ冷徹に地球が長年にわたって育て上げてきた生命の調和をその根底から切り裂いていく。その冷血さの中にプリンス・オブ・ダークネスの姿を見るのは容易い。
放射能が虚無の嫡子であるのであれば、歴史の中で行使されてきた最良の精神たちに対するすべての暴力、すべての陵辱は、今、フクシマで起きているできごとの中に集約されていると考えることもできる。できごとにおいては無意識の潜在的な構造がその症状を繰り返し現実の中に表現してくるのであり、その意味において歴史上で行使されてきたありとあらゆる暴力はすべて同じ暴力なのである。なぜなら、存在の裂け目が神の傷であるならば、それは常に一つなのだから。傷はどこからやって来るというものでもなく、神と同じく「ありてあるもの」なのであり、歴史の終わりに当たって、それは神の出現と共に露になるべきものだからである。
われわれはこれから出現してくるであろう深淵において、この圧倒的な暴力の正体を自らの意思によってあばかなければいけない。この暴力の由来をあばくことによって、われわれはまた歴史上で行使されてきたすべての暴力をあばくことができるのだ。さて、結果が最善のシナリオとなるか最悪のシナリオとなるのか、そんなことは問題ではない。事態はとにかく予想通りの展開になるだろう。これは最終戦争なのである。
夢野
2011年5月9日 @ 04:36
複数の意味で、戦争なんですよね。とくに無思考化とのせめぎあいが深刻に不利な局面ぢゃないかと思います
M・エンデも第3次大戦といってました
ヤシマ作戦ならぬ人類補完計画を思案中です。科学の否定優位な討論を裏返した、理解の対話。ブレーン・ストーミングよりも革命的なルール
名付けてメタ会議
kohsen
2011年5月11日 @ 11:31
ほう、エンデもそんなこと言ってたんですか。。
メタ会議計画、面白そうです。
Taro Ohmori
2011年9月28日 @ 20:11
半田広宣様、お久しぶりです。
私目の研究データを挙げておきます。
GPL_v3ですのでご自由にお使いください。
私の理論も、統合失調症病棟同様、暴力でしかありません。(涙
Taro Ohmori
2011年9月28日 @ 20:12
失礼。
URLが掲載できておりませんでした。
こちらです。
http://www.ocean-pettle.com/xml/
Maru
2011年10月5日 @ 22:48
私は、現在の混乱は性的なものが原因だと捉えています。テレビで日々同性愛や異性装を放送するのは、その象徴です。
つまり、雄は雌を得て、雌は雄の保護を手に入れるという事です。その為には全てが正当化されます。