ヌースレクチャー2009〜2010の総括およびDVDのPR——VOL.1

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 7年ぶりのレクチャーワークもひとまず無事、終了し、現在一息ついているところなのだが、今週から、全12回のDVDを反省会も兼ねて見直してみることにした。う〜ん、以前のレクチャーよりも多少は洗練されてきてはいるものの、まだまだヌーソロジーの可能性を十分に表現し切れていないという感じがするなぁ。。とりあえず、DVDのプロモーションも兼ねて一巻づつ簡単なレビューでも書いていってみることに。。。

●VOL.1――2012年問題について
 久々のレクチャーシリーズの再開ということも手伝ってか、出足は若干緊張気味です(笑)。表情が硬いネ。お題の方も初っぱなからヌーソロジックな話は参加者にも酷だろうと勝手に判断し、ウォーミングアップとして「2012年問題」というカジュアルな話題でスタートさせた。

・DISC1 2012年問題について
 前半はマヤ暦、ホピ族の神話、フォトンベルト、Ωボイント理論(テイヤール・ド・シャルダン)、タイムウェーブ・ゼロ理論(テレンス・マッケンナ)等、2012年問題と関連の深いタームのあらましをジャーナリスティックに解説し、2012年問題自体が孕む問題点についていろいろと語らせてもらった。
 まぁ、前半の内容自体は、本来2012年問題なんてものはスピリチュアルマイノリティーが作り出したルサンチマンの産物にすぎない、というのが大筋なのだが、それはあくまでも僕の理性的な脳が話している内容であって、感性的な脳みその方は一概にはそうとも片付けられんぞと常に注意を促してきている。それは世の中の理性的なものが孕んでいる現状を見ればすぐに分かる。
 今や世界はリベラルな民主主義の体制で全面覆われ、これといったイデオロギー対立もなくなってしまった。社会の中では価値中心は細かく分散化し、小さな物語、小さなコミュニティーがひしめき合い、そこでは冗長なおしゃべりだけが延々と続けられている。お固い言論の世界も例外じゃない。昔ながらの真や、善や、美を説く哲学や思想はすでに絶滅の危機に瀕していて、政治学や社会学といった近視眼的で実生活的な人文だけが、こちらのほうがより”アクチャル”だ、という理由だけで、ますます幅を利かせている。こうした主流に対し大きな物語の復活を声高に主張していくことがいかにカッコ悪いことであるかは重々承知してはいるつもりだが、自分の形(ナリ)としては、そんな時代だからこそ逆に反時代的に生きるトリックスターがおらんといかんやろ、と思えて仕方ないので、ヌーソロジーの構築に全身全霊を注いでいる。
 と言って、僕自身はスピリチュアル業界で云々されている2012年問題にはほとんど関心がない。ヌーソロジーが問題としたいのはむしろ2012年以後の世界のことだ。2012年が例の1999年と同じようにまったりと何事もなく惰性で過ぎ去っていったとき、従来の理性たちから、スピリチュアリズムがますますお笑いネタにされるのは目に見えている。しかし、こうした社会的な理性が浴びせかけてくる嘲笑も愛を連呼するスピリチュアリズムと同じくらいに僕としては気持ちが悪い。両者を作動させている情念は結局のところ自我という同じコインの表裏にすぎない。僕が行きたいのはこの両者の間から垂上していくベクトルの方向。マテリアル(理性的)でもスピリチュアル(感性的)でもない、何か全く別の方向なのだ。

・DISC2  トランスフォーマーとは何か
 後半はヌーソロジーの世界に入っていくための最初の立ち位置の説明をしたんだけど、その際、キータームとなっているのが「トランスフォーマー」というちょっと怪しげなタームだ。トランスフォーマーとは現行の世界観、宇宙観、人間観をその根底から転覆させるような、ニーチェで言うならばあらゆる価値の転換を図るようなメタ知性を所持する新人類たちの異名のことを指すのだけど、ヌーソロジーではこうしたニューブリードたちが2013年以降の世界に続々と登場してくると予測している(もちろんひとりよがりの予測なのは言うまでもない)。
 人間とトランスフォーマーの思考様式における最も大きな違いは時間に対する考え方にあると感じている。西田幾多郎の言い方を借りれば、「歴史が自然を生成した」と考えるのが人間で、「自然が時間を生成した」としたと考えるのがトランスフォーマーだ。トランスフォーマーにおいては時間は決して絶対的な実在物ではなく、無意識が作り上げている一つの概念の形式にすぎない。トランスフォーマーというのはアプリオリな無意識の構造を意識化させる視力の獲得によって、この時間概念を成立させている基盤自体を解体させ、無時間という場所から宇宙の生成原理を構成していく知的作業に就く者たちのことをいう。
 トランスフォーマーの認識にとっては時間概念自体が人間の存在様式に見えているので、時間概念を超越論的に乗り越えた主体意識はごく自然に人間を人間たらしめている概念枠から脱却していくことになるというストーリーだ。つまり、僕にとっての2012年で人類が滅亡するという言説は、人間という概念そのものが解体を始めますよという意味であり、当然のことながら、その解体は自然環境や社会システムといった外存世界における破局ではなく(もちろん多少のドタバタはあるだろうが)、あくまでも今までの内在野の在り方が全く別のものへと変えられていくということなのだろうと思ってる。。。DISC2では、まぁ、そんなことを2時間近くくっちゃべっています。

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