ヌーソロジーは変換人の夢を見るか

Lecture_vol_4

一昨日の土曜日、新しいシリーズで始めた第四回目のレクチャーを無事、終了した。今回も満員の盛況で、参加していただいた皆さんには心から感謝の意を表したい。

 実は、今回のレクチャー、少し不安があった。というのも、今回からレクチャー内容がモロ、ヌーソロジーそのものの内容に入って行くからだ。第3回目までもヌーソロジーに関する話をしてきているわけだから、ヌーソロジーそのものの内容という言い方は少し変かもしれないが、とにかく、僕の中では第3回目までの話の内容とテイストが大きく変わってくるので、このテイストに参加者の皆さんが舌鼓を打ってくれるかどうかが少し心配だったわけだ。

 今回のレクチャーシリーズでは一回の所要時間を4時間に設定している。50分話して10分休みを取るという形で、これを3回繰り返し、最後の4枠目だけ1時間とって話をまとめる、というスタイルだ。通常、各枠の話の終わりに、「じゃあ、休憩に入ります」と言うと、だいたいの人がすぐに席を立ってお手洗いに行ったり、ラウンジの方に休憩に行ったり、背伸びをしたりと、堰を切ったようにいろいろ動き出すのだが、今回、第三枠目の話が終わったところで、「では、休憩を取って下さい」といつものように言ったのだが、誰一人として席を立とうとしない。何と椅子から立ち上がったのは僕だけだったのだ。んっ?どうしたんだろ?話が難しくて皆さんの頭を極度の疲労へと追い込んでしまったのか?不安が的中したか?

 不安というのはほかでもない。今回のレクチャーからはヌーソロジーの根幹とも言える次元観察子という概念の具体的な解説に入ることになっていた。この観察子世界に入っていくためにはしょっぱなに「空間の反転」という概念を理解する必要がある。この概念を押さえないとその後に続くヌーソロジーの理論展開のロジックは紛れもなく宇宙語になってしまう。僕が不安を持っていたのは、この「空間の反転」という概念をうまく参加者たちに伝えられるかどうか、ということだった。2003年まで開催していたレクチャーでは、はっきり言って、ことごとく失敗している。その意味で、今回も参加者の皆さんの頭をただ徒に疲労困憊させただけで、その疲労感から皆が席を立てなくさせてしまったと勝手に思い込んでしまったのだ。しかし、席から立てないぐらい頭を疲労させる話ってどんな話なのよ。想像しただけで頭痛がしてくるじゃないの(笑)。

 その後、僕は椅子の上でフリーズしている参加者の間を抜けて、奥のキッチンへと一服しに行ったのだが、そこにビデオ撮影を手伝ってくれている甥っ子のワタリくんがやってきて、一言「会心の一撃やね」と宣った。「会心の一撃?」最初は意味が分からなかったのだが、ワタリくん曰く、「皆、反転の意味が分かったんですよ。それで、やられてしまった。。。」

 その後、その是非を参加者の皆に確かめるような野暮はしなかったが、もし、それが本当なら実に嬉しいことだ。それはヌーソロジーが単なる一個人の妄想で収まりのつくものなどではなく、多くの人たちと合意形成、相互了解を持てる一つの思考形態へと成長していくことの可能性が花開いたということでもあるからだ。

 レクチャー当日の夜はなかなか寝付けなかった。反転の感覚的強度が他者に伝達されたというのはひょっとしてほんとかもしれない。僕の中の反転感覚が普段より一層力強さを増して意識の中を駆け巡っていた。
 ロッジのminoruさんからリクエストがあったので、反転のトレーニングに利用したアニメーションもアップしておきます。(ここで膨張-収縮を繰り返す球体はもともとは外壁が青、その内壁が赤で塗られていると思って下さい。反転によって内壁と外壁が入れ替わり、反転振動を繰り返している様子を表しています)