6月 10 2009
時は糞なり——あるヒポコンデリアックの手記
太陽をいかにして腐敗させるか。
いや、いかにして醸成させるか。
それだけが当面の問題だ。
野生の雄牛のそれのように過剰な太陽の性欲。
マテリアルという意味においても、
イデアルという意味においても、
この欲望はちと異常すぎやしないか?
太陽のゾーエーは今や貨幣という名の贋金に姿を変え、
世界を壊滅へと導きつつある。
ヤツが何を食っているかは知らないが、
(月か?それとも死霊か?)
ヤツの肛門から次々と排泄されてくるのは、
いつも贋金だ。
よく言ったものだ。
時は糞なり——。
この糞を巡って有象無象のスカトロジストたちが都市を徘徊する。
だから、オレはふと思う訳だ。
いっそのこと、この顔面から目玉をくりぬき、
太陽の中に投げ込めたらどれだけ幸福(しあわせ)なことかってな。
太陽を醸成させるにはそれしか手段がない。
だろ?
13号
2009年6月14日 @ 02:58
初めましてコウセンさん。御本やHP面白く読ませていただいている13号と申します。
コウセンさんも書いてましたがやっぱり自我なんですよね。
これを通すと何もかも歪んでしまう。
前のほうに睡眠のお話が出ていましたが、徹夜明けの爽快感とその後の倦怠感は自我の壁なんでしょうね。
完全に「彼岸」へ渡る、ヌース理論でいう「モノ自体」になってしまうにはやはり一度「此岸」を虚無で閉ざす(自我の死)しかないんでしょう。
そうすれば「誰」にでも、トンデモといわれるヌース理論のツインシステムも、オリオンとプレアデスの複層構造も、「今、ここ」に全てあるんだという事もパタパタと視えてくるはずなんですけどね。
一方で何もかも知ってしまうこと自体が自我への最期のトドメになるのかなとも思いますが。
いずれにせよヌースのこれからの展開、そしてタカヒマラが視せてくれるものを楽しみにしています。
kohsen
2009年6月15日 @ 14:34
13号さん、こんにちは。
おっしゃる通り、
空間概念の大幅な変更を試みることによって、
本来、折り合いの悪かった科学的知識と哲学的知識を接続させ、
「すべてがここにある」
ということを知性の名のもとに示すことが
ヌーソロジーの目的ですね。
そんなことが果たして可能なのかどうかまだ定かではありませんが、
一生続けていきますので、今後の進展を楽しみにしていて下さい。