6月 3 2009
地球から広がる空間について、その6
●ようやく見えてきた月の位置
地球は約1日で自転し、月は約28日周期で地球を中心に1公転していますが、ヌーソロジーの考え方では、この28 : 1という比には、中和された(人間の内面に入り込んで見えなくさせられてしまった)精神作用の数と、その中和の働きを等化へと逆変換しようとする精神(人間の外面)の周回性の関係が現れていると考えています。つまり、人間が単に時空と呼んでいる場所には実際には人間の意識を構成するための28種類の違う空間の層が重なり合っており、その差異を裏で保持している働きが月の公転として現れているということです。
この層は前回紹介した言葉でいえば、反核質の対化が作り出しているキアスムの構造が織りなしているものということになりますが、反核質自体は光速度状態に形作られている力でもあるため物理学にいうミクロのプランクスケールレベルにもその構造を映し出すことになります。現在、M理論(11次元超重力理論)で言われている小さくコンパクト化した7次元空間(7次元球面)というのが、おそらく、この反核質の対化(SO(6)とSO(6)*)の等化として働いているψ13のカタチに当たるものだと思われます。月の公転軌道を一つの大円に含み持つ球空間、これをオカルティストたちのように月天(天使界)と呼んでも構いませんが、この月天はおそらく、このコンパクト化した7次元球面が人間の内面側(時空)に反映を作り出している状態と考えていいかもしれません。
では、その月天の空間構成の様子を簡単に図で見ておきましょう。話を分かりやすくするために、まず最初に地球から広がっている空間の状況を図1に図示しておきます。
地球から広がっている空間は前回もお話したように意識的身体回りに広がる空間と同様のものと見なします。地球上には自己、他者双方の物質的身体が存在させられていると考えれば、当然、意識的身体においてもこれら二つのものが同居していることになります。これらは反核質の対化です。空間次元でいうと、これら反核質の対化は互いに反転した6次元空間ということになります。その意味で、地球から広がる空間はこれらの対化が中和された形で現象化していることになります(潜在化した観察精神が中和させています)。
さて、ここで次のように考えましょう。このシリーズの「その2」のところで少し触れたように、「球空間をそのまま一本の線分として見なすような幾何認識の形式」の法則が反核質としてのこの6次元空間にも適用されるものと考えてみるのです。つまり、意識的身体(地球)から広がる6次元空間(次元観察子でいうとψ7-ψ9-ψ11)がそれらを統合するために6次元の回転群SO(6)を作り出し、そこで形成される空間の全体性が一本の線分にまとめられている様子を想像してみましょう(下図2参照)。
このときの1本の線分とは今までの考え方を敷衍させれば6次元空間に直交している7次元空間の方向性に向けられた線分だということになります。当然、反転した6次元空間側も同様にSO(6)*を作り出し、その全体性をSO(6)側とは逆方向の7次元方向の線分の中にまとめあげられます。そして、この二つの方向を等化している運動として月の公転の意味を解釈してみるのです。
つまり、月の公転軌道の直径に当たる部分というのは7次元空間において原点を挟んで対峙する正反方向の線分であり、その線分内にはヌーソロジーでいうψ11(人間における定質)とψ12(人間における性質)が作り出している二つの対抗し合う方向性がψ13の球空間を形成するための直径部分に集約されて表されているということです。
さらに想像力を膨らましてみましょう。この7次元空間において対化として対峙する二つの方向性は、おそらく月と地球の内合点(新月の位置)と外合点(満月の位置)を結ぶラインと考えるのが心理的にはもっとも自然ではないかと思います。というのも、OCOT情報にもあるように、地球の昼側が人間の内面を指し、夜側が人間の外面を指しているとすれば、地球中心と新月時の月の中心位置を結ぶ線分が内面総体(人間の定質)としての次元観察子ψ11(人間の意識が最も内面化してしまう位置)を指し、夜側に当たる満月時の位置が人間の外面総体としての次元観察子ψ12(人間の意識が最も外面化する位置)を意味しているのではないかと予想されるからです。すなわち、新月時には最も人間は理性的=神経症的になる傾向があり、満月時には最も情動的=分裂症的になる傾向があるということてす。まさにルナティック(luna-tic/狂気の、常軌を逸した)ですね。このように考えてくることによって、シリウスファイルに見られる次のようなOCOTの言い回しも幾分容易に理解できるようになってきます。
月は自己と他者の間を行ったり来たりしています。(シリウスファイル)
月はヒトの調整質です。(シリウスファイル)
ここでOCOTが言っている自己と他者とは基底がそれぞれ反転関係にあるSO(6)とSO(6)*によって構成されている超越論的自我をもった自己と他者を構成しているそれぞれの空間領域だと考えるといいでしょう。つまり、言い換えれば、月の公転運動とは人間の内面総体(定質=ψ11)と人間の外面総体(性質=ψ12)の等化と中和を交互に行っているヒト(人間の集合無意識のようなものと考えてよい)の精神による人間の意識全体の調整作用の現れだというわけです。
——つづく
siesta
2009年6月3日 @ 23:44
この辺の解釈は圧巻ですね。細部で理解できていないところが多々ありますが、想像を超えた真と美を感じます。ヌーソロジーとシュタイナーを読み比べているのですが、シュタイナーが、科学が霊的世界を解明していくには「視空間」と「触空間」(三次元空間のことと思われる)の関係を考察することが課題となる、と述べています。日本で訳出されているシュタイナーの書籍の中では、いまひとつ「視空間」「触空間」と「霊的構造」の関連がわからなかったのですが、ヌーソロジーを通じ、こういうことだったのか、と思っている次第です。「視空間」と「触空間」の関連を「霊的構造」として理解するには、科学は相対性理論、量子力学に始まる20世紀以降の発展が不可欠だった・・・、いや20世紀以降の科学発展は、コウセンさんが言われるとおり、物質科学が霊的科学に進化していく準備段階であった、ということでしょうか。
kohsen
2009年6月4日 @ 12:15
SIESTAさん、お久しぶりです。
ブログを読んでいただいてどうもありがとうございます。まだまだ足取りは心もとないのですが、シュタイナーに代表される神秘主義的世界観を、何とか万人に合意形成が可能となるような概念体系に変換して再構築していきたく試行錯誤がずっと継続している状態です。もっと理解しやいものとして提示できるよう精進します。今後とも宜しくお願いします。
siesta
2009年6月4日 @ 22:26
ヌーソロジーを念頭にシュターナーを読むと、シュタイナーの語っていることが「観察子」の解説のように思えてきます。リサランドール女史の余剰次元も、超ひも理論も、語っている内容はオカルトそのものだと思うのですが、オカルティズムの正統な嫡子であるはずの科学が「物質科学」の呪縛からなかなか抜け出せないのは、それだけ「核質」の拘束力が強いということでしょうか。(実際は科学はすでに霊的領域に足を踏み入れているように見受けられます。)資本主義の真っ只中で生業を営んでいる身としては、もはや「知覚」を根本的に刷新することなしに新しいビジョンは描けない、とひしひしと感じます。真の差別化への欲求が、もう沸点すれすれの所まで来ているように感じます。
kohsen
2009年6月9日 @ 01:54
ポール・トーマス・アンダーソンが監督をした「マグノリア」という映画が昔あって、その中の登場人物の一人が酒場で半ベソをかきながらこう呟きます。
「胸には愛があふれているのに、その吐け口がない」と。このセリフは現代という時代の「わたし」の魂の在り方を的確に言い当てているように思います。
ウラでは全体を一つにしようとする無意識が律動していて、オモテでは一人一人が徹底して個体化していこうとする。。この意識の両極への引裂きはもう極限のところまで来ていて、この圧力に耐えきれなくなったら、もう自我は自我を棄却するしかない。。このダブルバインドから逃れ得る方法がほんとうに存在するのでしょうか。ここしばらくはとにかく我慢大会ですね。