4月 3 2009
スカイ・クロラ
空の青さに理由もなく泣けてくることがある。
感傷の涙でもなく、もちろん感謝の涙などでもない。
ただ空があまりに広く青いこと。
それだけで、涙するには十分だ。
こんな感覚を体験したことがある人には、この『スカイ・クロラ』は超オススメの映画だ。監督は『攻殻機動隊』『アヴァロン』『イノセンス』などでおなじみの押井守。『攻殻機動隊』は恥ずかしながらまだ見たことがないのだが、僕的には『アヴァロン』『イノセンス』よりも角が取れたという意味でいい出来に思えた。作品のトータリティーとしては★★★★★。宮崎駿の世界よりも遥かに詩的です。。『崖の上のポニョ』が好きな方は見てはいけません(笑)。
舞台は、あり得たかもしれないもうひとつの現代。世界はすでに平和が達成され、その平和を認識するためにショーとしての戦争が行われている。ここで戦争を受け持っているのは国家ではなく二つの多国籍企業だ。戦争というからには誰か人が死ななければならないわけだが、そんな平和な世界で一体、誰が自ら進んで殺し合いを引き受けるというのか——それが「キルドレ」と呼ばれる、思春期の姿のままで大人になることができない突然変異種たちだ。彼らは戦死する以外は永遠の生を生き続けなくてはならない。いや、たとえ戦死しても・・・(口にチャック^^)。彼らにとって戦争はコンビニのバイトと同様、ありきたりのルーティンワークと化しており、その終わりなき生のループの中で、自分たちの生きる意味さえ見失っている——。
押井守は、この映画を現代の若い人たちに向けて作ったというが、おそらくそれは興行上の建前じゃなかろうか。押井作品の一つの特徴は作品の背景につねに存在論的な問題意識が根付いているところにあるのだが、この作品も今までの作品とテイストこそ違え、その路線を一歩もはみ出るものではない。社会が成熟し、生に対する意味が希薄になりつつあるこの時代、この作品は確かに終わりなき日常を空虚に生きる若者たちへのメッセージのようにも思える。一見しただけでは、そのメッセージは「父(権力や体制)を殺せ!!」といった60年代のアジの焼き直しのようにも取られがちだが、現代の若者には殺すべき父などもはやどこにも存在していない。いや、父は巧妙な手段で姿を隠してしまい、その父を探し当てる気力などとっくの昔に消え失せている。たとえ、父を探し当て殺害したところで、殺した奴がまた新しい父となるのは目に見えている。こうした人間社会の動かし難い現実に諦念を抱いているのが現代の若者である。もちろん、押井守もそんなことは知っている。だからこそ、あえてもう一度、彼は「父殺し」をテーマとしなければならなかった。僕にはそのように思えた。——ラスト近くで、主人公のカンナミ(キルドレのパイロット)が自ら操縦する戦闘機の中で「I’ll kill my father!!」とつぶやきながら、父の象徴である「ティーチャー」(敵の戦闘機)に突進していくのだが、このときの父とは、もはや社会的、政治的な権力や体制を象徴するものではない。何かもっと別のものだ。
その意味で、この作品は現代の若者に対するメッセージというよりも、人間そのものに対するメッセージとして受け取った方が逆に理解しやすいのではないかと思う。これは「終わりなき日常」というよりも「終わりなき人間」に対する押井守自身による異議申し立てなのだ。終わりなき人間——それは押井守が若い頃からずっと抱き続けている哲学的テーマ、すなわち永遠回帰を巡る問題と考えていい。
君は確かに輪廻している。しかし、生まれ変わっても、君はかつての両親のもとにまた君として生まれてきて、君が辿った人生と寸分も変わぬ人生を再度送ることになる。そして、この反復はオルゴールのように永遠に繰り返される——さぁ、君はどうやって、この猿芝居を仕組んだ父を殺そうというんだい?
空の広さの中に見える人間であることの永遠性、
空の青さの中に垣間見えるその永遠の向こう側。
僕らはみんなスカイ・クロラ(空を這う者)というわけだ。
映画のストーリーはネタバレになるのでほとんど書かなかったが、この作品は物語というよりも叙情詩として鑑賞する方がいいのかな。あっ、あと必ずエンディング・ロールが終わるまで見ることをおすすめします。
Ricardo
2009年4月4日 @ 02:01
まさか半田さんがスカイ・クロラを見るとは思いませんでした(笑)
押井守監督は、パトレイバーを製作していたころまではいちアニメ監督としてあまり注目してませんでしたが、士郎正宗(攻殻機動隊原作者)作品に出会ってからは、作る作品どれもにその影響が見られるようになりました。
士郎正宗作品(主にアップルシード、攻殻機動隊)は、未来の社会の在り方と、生と個の在り方を問い続ける様なハードなSF作品が多く、緻密な舞台設定と、アメリカの探偵ドラマよろしくのリズミカルでコミカルな要素もちりばめつつ、マニアックな展開を繰り広げます。
押井守監督はそんな士郎正宗作品の生と個を問うスタイルに影響された様で、「攻殻機動隊」や「イノセンス」(攻殻機動隊の押井オリジナルの続編)では士郎作品が原作にも関わらず、押井色を全面に出して神経症一歩手前くらいな悩める雰囲気の作品になっていますし、「アヴァロン」は(押井監督のオリジナルなハズなのに)士郎ワールドの影響たっぷりな世界観(主人公の女性キャラの髪型はまんま士郎キャラ)の上に、「攻殻機動隊」「イノセンス」と同様の生と個の有り様に思いを馳せるテーマが覆い被さっています。
士郎作品も押井作品も、スマルに堕ちて堕ちて、ぎりぎりまで堕ちて、そこから立ち上がってくる精神を扱っているように思っていました。
スカイ・クロラは、ひさしぶりの士郎色の無い押井作品とのことだったので、是非見たいとは思っていました。
(士郎作品も、攻殻以降の押井作品もほとんど持っていますが)半田さんのレビューで、スカイ・クロラも買いたくなってきました(笑)
詩的とのことですが、スカイ・クロラが空の詩なら、海の詩に喩えてもいいと思える「グラン・ブルー」とは通じるものがあるような気もしますがどうなんでしょうか?
まずは、スカイ・クロラ、見てみます。
kohsen
2009年4月5日 @ 22:07
Ricardoさん、どうも。
押井さんは結構、思想関係の人に人気があるようで、
以前から気になっているクリエーターの一人です。
アップルシードは技術的にスゴイなとは思いましたが、
スカイ・クロラの方が世界に深みがありますね。
グラン・ブルーもいい映画でしたが、
僕はこっちの方が好きかな。
海の青さというのはイデア的というよりも、コーラ的かな。