地球、月、太陽の本質(2)

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■解説
 さて、前回の交信記録19940320の内容をについてだが、構造を丁寧にやっても退屈だろうから、今回は寓話調でざっと解説してみよう。地球と月の回転に対するイメージをまずはつくっていただきたい。では、はじまり、はじまり。。

 旧約の信徒たちは地球を回しているのは天使たちだという。大天使ルシフェルが神に謀反を起こしたとき、ルシフェル側に着いた天使たちがいて、その数が365人だったというのだ。そして、その反対に神側についた天使たちも365人。その指導者はミカエルだ。ルシフェルの軍勢VSミカエルの軍勢。力は互角。この勢力の拮抗は月が決してウラを見せないことに表れているという。

 地球の自転は僕らに時間という認識を与える。日が巡り、星が巡り、その移り変わりによって四季が息づき、地上にはたくさんの命が同じように新しい生命を生み出しては死に行き、死しては生まれる。しかし、いつの頃からかこのような円環的時間の巡りは忘れ去られ、直線的時間が人類の意識を支配するようになった。ミカエルの軍勢の時間が「円」ならば、おそらくルシフェルの軍勢の時間は直線だ。いや、それはより直裁的に歴史と言い換えてもいい。年表がつねに直線に沿って記述されていることを思えば、歴史というものがいかに直線的時間に魅せられているか一目瞭然だ。

 「直線とは究極の迷路である」というボルヘスの言葉を信じるならば、僕らが現在抱いている歴史の観念もまた迷路と言える。何処に行き着くのか分からない歴史の果て。その先に希望があるのか、それとも絶望が待っているのか。歴史の上を歩み続ける人間はまるで判決のときを待つ囚人のようではないか。

 OCOTとの交信が始まる以前、僕はNOMIという意識体と交信をとっていた時期があった。もう25年ぐらいも前のことだ。この愛すべき暗黒の友は地球は魂の流刑場だと語っていた。そして、地球は虚無に向かって絶えず落下し続けているとも。もちろん、この落下は単純な直線的落下ではなく、クリナーメンのように絶えずズレを作り、渦も巻くし、多少の停止もする。しかし、全体的に落下し続けていることに変わりはない。NOMIに言わせれば、文明とはそうした流刑者たちの強制労働の結果であるという。まぁ、暗黒の友だから口は悪い。ご勘弁を。

 人間が地上に都市を建築していくこと、そして、そこで鉄骨を天に向けて空高く積んで行こうとすること。それは建築ではなく落下だということなのだ。そして、この落下を背後で阻止し続けているいる力があり、それが月だという。月はちょうどクルーザーの上で巻き取られていくリールのように、海底奥深く沈んで行こうとする地球の落下をそれこそアリアドネの糸で懸命に引き戻そうとしているというわけだ。

 例えば、地球が28回回るということは、28×24=672時間の直線的時間を落下したことになる。月は地球とは反対方向にそのリールを1回転回して、地球の落下を食い止めようとする。地球の落下を作用とするならば月はその反作用として回っているというわけだ。グルグルと機械的に回っているようにしか見えない地球と月。しかし、漆黒の宇宙空間ではまさに闇の天使の軍勢と光の天使の軍勢の熾烈な戦いが繰り広げられているということなのだろう。それにしてもこの戦いは恐るべき精度で拮抗している。作用と反作用と言われればそれまでだが、この拮抗は戦いというよりは、むしろ闇と光の調和と呼んだ方がふさわしい。

 しかし、ここでふと疑問が頭をよぎる。なぜ、地球は落下し続けなければいけないのだろうか。歴史という闇、直線的未来という不透明な場所に向かって、なぜ、地球は堕ちていかなければならないのか。それが分からない。NOMIは言う。「地球を流刑場に決めたのは神だ」と。確かにルシフェルを天上界から追放したのは他ならぬ神であった。では、なぜ神は天使長たるルシフェルを堕天させなければならなかったのか。旧約には神が自分を出し抜こうとしたルシフェルに怒り心頭して追放したとあるが、こんな傲慢な神こそ世界から追放するべきである。だからその類いの記述は真実には触れていない。

 おそらく事実は全く逆なのではないか。神はルシフェルに絶対的信頼を置いていたに違いない。だからこそ地上に落としたのである。神が自らの成長のために敢えて汚れ役をルシフェルに頼んだのだ。ちょうど、イエスに諭されてユダが密告者の役を買って出たように。

 そういう経緯だらこそ、神とルシフェルの間には誰にも知られていない密約があると考える必要がある。そして、その契約が交わされているところが月。大いなる女の場所なのだ——ルシフェルよ、おまえが引き連れたかわいい365人の部下たちが無事、天上世界へと戻れるように、わたしはミカエルに命じて、その365人の天使たちの妻を月に住まわせよう。もちろん、おまえの部下たちは天上での記憶を忘れているので、それが自分の妻とは知らず敵と思って戦うことだろう。しかし、時が来たら必ず、妻の顔を思い出すように手配しておく。時が来ればおまえにも召還命令を出すことになろう。そのときは二人して世界の成就を祝うときだ。

 月はこうして神とルシフェルをつなぐ固い絆となった。365人の堕天使の妻たちは神の聖数である「13」にちなんで13のグループに分けられ、28×13=364として一年を形作るための力となった。これは月のリールがアリアドネの糸を13回巻き取とることを意味しており、神がルシフェルとの友愛を保証していることの証左に他ならない。364+1=365の1において、一年と一日は一致を見、この一致が天上と地上の一致の証左となる。ピラミッドテキストにいう「神々の1日は1年であった」という円環的時間の本質がこの一致にあるわけだ。
 
 このことから、一年=地球の公転とは1日=地球の自転(落下)を促進させている本質力と言えるだろう。地球の自転に対して月の公転がそのウラを取り、そして、その月の公転のウラを地球の公転が取る。ヌーソロジーの言葉で言えば、付帯質の外面(オモテ)→付帯質の内面(ウラ)→精神の内面(ウラのウラ)という関係で、1日と1月と1年は結ばれているということだ。

 天動説と地動説とを和解させるためには、この1日と1月と1年との対称性を取り戻さなければならない。それがヌーソロジーのいう不動の地球、月、太陽の意味なのである。
 上画像はhttp://www.nashica.com/astro/feature.htmlからの借用です。