10月 16 2008
時間と別れるための50の方法(44)
●スピノール登場
(前回のつづき)この接続を達成するためには、やはり、そのときの空間の構造が重要なカギを握っているのではないかと思います。位置の等化=次元観察子ψ5の幾何学的構造とは時空上のあらゆる点に貼り付つけることができる超ミクロの3次元球面とその自転軸のことだったことを思い出して下さい。もし、こうした空間構造を持つ何ものかが科学者たちにとっての実存として実際に目の前の時空に存在しているのならば、それこそヌーソロジーが描像している自己という存在の場所性が多くの人に合意形成を得ている従来の科学体系と確固とした連結を伴ってこの現実世界に接続してくることになります。つまり、宗教のような超越的な言説、哲学のような観念的な言説を持ち込まずとも、人間存在に対する見方を今までの人間の現実の中から全く別のものへと変革させていける可能性が出てくるわけです。
時空上のあらゆる点に貼り付いた超ミクロの大きさの3次元球面とその自転軸――ヌーソロジーの考え方からすれば、これが「わたし」自身の正体でもあるわけですが、この4次元方向を向いた回転軸はおそらく物理学者たちがスピノールと呼んでいるものではないかと考えられます。これははっきり言ってとても非常識な内容です。ですから、それだけに強度もあるので、再度、強度を強調してリフレインしておきます。――奥行きの同一視によって長さ無限小にまで縮められた4次元軸としての観測者の絶対的前方向、これが物理学者たちがスピノールと呼んでいるものの正体だと考えられます。
もしこの予想が正当性を持つことになれば、僕らは物質と精神の結節点らしきものを初めて描像することに成功したことになるでしょう。というのも、スピノールとは物理学では物質を作る元となっている電子やクォークの自転角運動量(スピン)として登場してくるからです。つまり、人間の外面としての働きである持続-記憶や未来に対する直感はひょっとすると電子やクォークそのものの中にそのすべてが蓄えられているのかもしれない、ということです。
ということで、スピノールそのものの話に入る前に、電子の自転角運動量という概念について物理学がどう語っているか簡単にダイジェストしてみます。自転角運動量といってもよく分からない人もいるでしょうから、まずは通常の物体の角運動量について簡単に説明しておきましょう。
角運動量とは回転している物体が持っている運動量のことを言います。通常の運動量pは質量mと速度vの積mvで表されますが、角運動量の場合はこの運動量pに回転している円の半径rを掛け合わせ、
L=p×r(ベクトルの積です)
角運動量 : L 運動量 : p=mv 回転半径 : r
として表されます。角運動量はベクトル量なので当然、方向を持ち、この方向は回転面に対して垂直な方向、つまり回転軸の方向に現れます。例えば車輪が回っているとするとその車軸の方向ですね。通常の物体の回転はモノが回っているわけですから、その回転は群でいうと2次元回転群SO(2)です。このとき、軸は回転面x-yに対して垂直なz方向に立ち上がり、その方向に自転角運動量ベクトルを形作ってくるわけです(下図1参照)。
これは「回転とは等化の本質である」というヌーソロジーの論理を使えば、回転という運動にによってx軸とy軸が等化され(対称性を持ち)、2次元から3次元方向にz軸という方向性を作った、という言い方ができます。レベルは低いですが一種のアセンション(次元上昇)です。回転運動が持っているこのような次元上昇の仕組みをまずはここでしっかりと頭に入れておいていただければと思います。というのも、ヌーソロジーが説くヌース(旋回的知性)とは、回転(等化)によって認識の視点を次元上昇させていく知性の在り方のことを言うからです。その意味で言えば、通常の自転角運動量とは2次元に対する観察子位置を3次元に作り出すための負荷ということになるのかもしれません。次元観察子で言えば、ψ1~ψ2レベルからψ3~ψ4レベルへの意識の侵入力です。
まぁ、このへんのヌーソロジー自体の内容は後に回すとして、話を元のスピンに戻しましょう。
一般に電子やクォークも自転していると考えられています。ここで「一般に」と言ったのは、厳密にはこれらの粒子の自転の場が3次元空間ではなく内部空間と呼ばれている描像不能な場所なので、果たしてそれらの自転を通常の物体の自転のように考えていいかどうかが分らないからです。しかし、回転の性質を持っているといういう意味ではやはり角運動量が存在しています。このときの角運動量がスピン角運動量と呼ばれているものです。スピン角運動量は磁場方向の成分(スピン量子数msと呼ばれます)を取ると常に一定となっており、その値は±1/2h’(h’=h/2π)です(hはプランク定数で光1振動分のエネルギーを表します)。ヌースでもよく話が出てくる「スピン1/2」というのはこの値のことを指しています。
物理学の言葉が一挙に出てきて、ちょっと話が分かりにくくなったかもしれないので、イメージが涌くようにスピンの詳細を図で説明しておきます。
電子やクォークが自転していると言っても、その自転軸はピンッと直立不動で立っているわけではありません。上図2に示すようにちょうど回転力が衰えたときのコマのように回転軸自体が傾斜して回っています。このとき傾斜軸の角運動量は√3/2h’とされています。そして、このとき起こっている傾斜軸自体の回転におけるz方向の成分がスピン量子数と呼ばれるものです。ピタゴラスの定理からz方向の成分の値がさきほどご紹介したように±1/2h’になっているのが簡単に分ると思います。この比の関係性はちょうど直径√3の長さを持つ球体に正六面体を内接させて、その4本の立体対角線をすべて「等化」させるような回転が起こっていると考えればイメージが簡単になります。つまり、この回転の磁場方向の成分を表すスピン量子数±1/2という値は、この正六面体に内接する球体の半径の大きさに対応してくるわけです。このように、電子やクォークのスピンの成り立ちには1:√2:.√3という正六面体の構成比が深く関係しているわけです。このことは、物質の根底が極めてシンプルな幾何学比によって支配されているということを示唆しています。
――つづく
ねじ
2008年10月17日 @ 07:27
昨日は衝撃的でなにをどう考えていいやら判りませんでしたが、ドーナッツ型?トーラス?の回転がゼロポイントから1/2ベクトルを引き出す力!?ワケ判らないのが正直なところですが、感動しています。これからのお話楽しみです。ありがとうございますo(^^o)(o^^)o
Φ=WHY?
2008年10月18日 @ 12:54
球対称のポテンシャルの場(「中心力場」と呼ぶ)があるとします。古典物理学の場合、例えば、大きな剛体の回転などの場合、軌道運動の原点のまわりの「角運動量」
L=r×p(r:位置ベクトル、p:運動量ベクトル)
は一定となり、保存されます。ところが、量子物理学の場合、例えば、原子の中の電子の運動などの場合、軌道運動の原点のまわりの「角運動量」(軌道角運動量)は保存されません。実際この場合は、「全角運動量」(=軌道角運動量L+スピン角運動量s)が保存されます。なお、同じLという物理量であっても、古典物理学ではc-数(古典的数、つまり、ただの数)ですが、量子物理学ではq-数(量子的数、つまり、微分演算子や行列演算子など)です。
より正確に言えば、ポテンシャルを持たないシュレーディンガー方程式やクライン・ゴルドン方程式では角運動量(軌道角運動量)が保存される解が見つかりますが、ディラック方程式では軌道角運動量が保存される解は見つかりません(実はディラック方程式が行列を用いていることに起因しています)。そのため、スピノル量というベクトル量とは異なる座標変換規則に従う、一見訳のわからないように思える物理量を考えなくてはならなくなるわけです。ちなみに、ディラック方程式に従う4成分の波動関数はスピノル量です。
要するに、世界がどんな運動方程式に従う場として考えるかによって、世界の描像は変わるわけです。ポテンシャルを持たないシュレーディンガー方程式やクライン・ゴルドン方程式に従う世界観は、大きな物語への従属性(軌道角運動量=公転的な回転量)だけを要求してきますが、ディラック方程式に従う世界観は、大きな物語への従属性だけでなく、自分固有の小さな物語の存続性(スピン角運動量=自転的な回転量)をも要求してくるわけです。不思議なもので、一見ヌーソロジーでは「相対論的世界観」は「4次元時空」という概念につながり、「前向き」ではなく「後ろ向き」であるように捉えかねないのですが。その申し子とも言うべきディラック方程式を通してでなければ、社会に対する個人(あるいは、全に対する個)自体が社会全体の枠組みに組み込まれてしまうのではないかという世界観を持っているわけです。
kohsen
2008年10月18日 @ 13:43
ねじさん、まだまだ序の口です。これからがむっちゃ面白くなってくる所です。ガンガン行きますよ。
Φさん、大変勉強になります。ありがとうございます。(o^-^o)
直観的な話で申し訳ないのですが、ディラック方程式(相対論的量子論)の世界は、ヌーソロジー的には相対論が人間の内面、量子論が人間の外面の構造記述ですから、次元観察子ψ9〜ψ10の構造を人間の内面側から記述しているということだと思います。いわゆる人間の内面と人間の外面の交差配列的位置です。
>不思議なもので、一見ヌーソロジーでは「相対論的世界観」は「4次元時空」という概念につながり、「前向き」ではなく「後ろ向き」であるように捉えかねないのですが。その申し子とも言うべきディラック方程式を通してでなければ、社会に対する個人(あるいは、全に対する個)自体が社会全体の枠組みに組み込まれてしまうのではないかという世界観を持っているわけです。
これは全く逆ではないですか?水素原子において「全角運動量」(=軌道角運動量L+スピン角運動量s)を保存に持っていこうとする「法」自体が専制君主機械に宿っている神霊(ヌーメン)の力だと思いますが。。
ねじ
2008年10月19日 @ 01:24
なにぶん、素人なもので的を得てるか判りませんが、仮に軽トラで運転手と荷台に乗っている人と背中合わせで宇宙空間を光速度に近づく状態の走行?をすると、運転手は前の距離がつぶれ、より遠くへ視線を送り、見える空間が狭まり、無限遠点の中に青い光の四次元時空を観ていることでしょう。荷台の彼は赤く色づきながら膨らみドンドン大きくゆったり広がる宇宙空間が四次元時空を強く意識するのではないでしょうか?あくまでも勝手な想像ですが、前も、後ろも、共に、四次元時空を突っ走って飛ばす軽トラの空間には変わりはないと思いますがどうなんでしょうか?お二人の巨匠のお話はとても面白いです。あのスピノールの図を見てからワクワクしっぱなしです。まるで一番小さなケイブコンパス、上下張り合わせたピラミッドを見ているようです。またψ5の殻の中にψ3を先手としたスピノールの現れ方は推進方因を思わせます。またいろんなことのミニチュア版に当たりそうなので、血が沸き立ちます。フラクタクル性もかいま見れて、このスピノールが立ち上がる瞬間に逢えたことを感謝します。
kohsen
2008年10月19日 @ 10:46
ねじさん、物理的に考えるならば、光行差というものも考慮した方がいいかもしれませんよ。光速度が達成されると、観測者を取り巻く球空間状の光は一本の線(視線)の中に集約されてしまいます。この方向が4次元なのかもしれません。
ねじ
2008年10月19日 @ 14:30
光交差ですか…改めて調べてみます(笑)軽トラの思考実験の続き…的に今いる部屋の立方時空を、任意の一点を凝視し、無限遠点まで光速度以上に部屋丸ごと加速し続けると…また元の部屋の自分の視線に重なります。しかし、それは、自分の目から強烈なビームを放っています。この視線自体が四次元なのでしょうか?主体的な光と客体的な光りの重なり合わさった自己の立ち位置…それが四次元対称性なんでしょうか!?考えれば考えるだけ面白い恐るべしヌーソロジ(笑)
ねじ
2008年10月20日 @ 01:20
訂正しますm(_ _)m 光交差ではなく光行差でした。軽トラのイメージも訂正します。円錐形のイメージを抱いていましたが、ただしくは荷台の彼に見える映像も後方の無限遠点にまで収縮します。ひも理論のひもの中みたいな感じです。でもって、光速度は越えられないが、今の科学の正しい見方だと改めて理解してください。皆さま。でも、ヌーソロジ的な視線の無限遠点の先の無限遠点の繰り返しのイメージは、コンパクトに巻き取られた残りの6次元とか26次元に一番的を得てる描写だと思います。光速度一定に光の偏光ベクトルを足していいものかちょっと疑問沸き(笑)