時間と別れるための50の方法(30)

「生命の樹」とヌース理論の関係性(1)

 さて、『ファウンテン 永遠につづく愛』の紹介に「生命の樹」の話が出たところで、ちょっと寄り道をして、前々回の記事(28)で示したプレアデス、シリウス、オリオンの三位一体の構成とユダヤの神秘思想であるカバラに登場する「生命の樹」との関係をごく簡単にお話しておこうと思います。

ユダヤ神秘主義が持っているカバラという思想は何か意味があるのですか。
はい、それはわたしたちと同じ方向性を持ったものです(シリウスファイル)

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 レクチャーでも観察子構造とカバラの「生命の樹」の酷似性は何度か紹介してきましたが、『人神/アドバンスト・エディション』にも書いたように、観察子の構成とその運動秩序を辛抱強く追いかけていると、カバリストたちが「生命の樹」を通じて思索してきた霊的運動の体系と驚くほど似ていることが分ってきます。その意味で、神秘学的なアプローチを通してヌース理論に興味を抱いている人がもしいらっしゃるなら、生命の樹を媒介にして観察子概念の理解を深めていくといいかもしれません。おそらくカバリストたちがその象徴体系のもとに伝承してきたことがより具体性を持って見えてくることでしょう。

 現在、一般的にカバリストたちに用いられている「生命の樹」の基礎的教義自体は、13世紀にまとめられたカバラの聖典である『ゾハールの書』をもとに、16世紀頃にモーゼス・コルベドロやイサク・ルーリアらの手によって整えられたと言われています。僕がヌース理論に最も親近性を感じるのはこのイサク・ルーリアの思想です。ルーリアは同時代のカバラの大家であるコルベドロの思想などに影響を受けながら自身のゾハール研究を進め、セフィロトのモデルに創造の四段階説(アツィルト・ベリアー・イェッツェラー・アッシャー)などを取り込み、近代カバラの原型を完成させたとされる人物です。ルーリア・カバラの中で特に重要視されるのは次の三つの考え方です。

1、「ツィムツーム(神の自己収縮)」
2、「シェビーラース・ハ=ケリーム(器の破壊)」
3、「ティックーン(容器の修復)」

 ツィムツームとは神の、自己自身の内への収縮、もしくは退却と言われます。これは神が宇宙を創造するに当たって、自らの無限性という本質を「収縮」させた形でその場所を用意したのだ、とする概念です。人間が現在、宇宙と呼んでいるもを神の創造の場と考えるのであれば、この宇宙自身がツィムツームの姿だということになります。神の本来の身体性からすればこの宇宙はそのごくごく一部でしかないわけです。

 「シェビーラース・ハ=ケリーム(器の破壊)」とは、神の属性と言われる10個のセフィロト(霊的次元を表す器のようなもの)のうち7個が粉々に砕かれ消失してしまうことを言います。器が壊れた原因は原初の人間であったアダム・カドモンの両眼から放たれた神的閃光があまりに目映いものであったため、その閃光を受け入れられるのは上位の3つのセフィロト(ケテル・ビナー・コクマー)に限られ、下位の七個はその強烈な光によって飛散させられてしまったというものです。

 本来、自分自身の属性を用いて被造物を創造した神が、その属性を破壊してしまったとするならば、被造物の方は永遠に自らの由来を知ることができずに彷徨うことになってしまいます。これは逆に言えば、神が被造物の居場所を見失ってしまったことと同意であり、神の救済を約束されたものとするユダヤ教徒たちにとってはそれこそ一大事です。そこで、ルーリアは「ティックーン(容器の修復)」という神による救済の概念を用意します。

 「ティックーン(容器の修復)」とは、ツィムツーム(神の自己収縮)を弁証法的に統合する作用のことを言います。収縮によって有限世界の中に閉じ込められていた神の神聖なる残り火は、ティックーンによって創造の再発火を起こし、破壊されていた7つのセフィロトを修復させていきます。それとともに離散していた人間の魂も神自身の完全なる身体性の中へと回収されていくという考え方です。

 このルーリアのストーリーを要約すれば、神は自己否定のもとに被造物の創造を行ない、それによって破壊された自身の身体を、今度は自己責任においてその破片から再復活させる、ということになります。この復活の際に人間の魂の救済が施されるわけです。――つづく