●メルロ・ポンティの奥行き解釈とヌース理論におけるψ3〜ψ4
前回の話のポイントをまとめておきましょう。
人間の外面領域であるψ3(モノ表面、さらにはそこからモノの背後方向へと貫かれている奥行き)は一般に時空と呼ばれている場所には存在していないということ。それを幾何学的に記述しようとすれば、おそらく時空(外部世界)の一点一点に張り付いた4次元空間の方向における微小な長さのベクトルとして表れているのではないかということ。そして、そこには過去、現在、未来の全時間が凝縮されて「今・ここ」を構成しているということ。一方、人間の内面領域であるψ4(モノの表面からモノの手前に感覚化されている「わたし」の位置を結ぶ線分)は時空を構成するための基礎的空間なっているということ。
以上です。
こうした内容はOCOT情報に含まれる人間の外面と内面という言葉を執拗に解読し続けた結果、見出されてきたわけですが、実は、これと全く同じことをすでに言っていた哲学者が一人います。それはメルロ・ポンティです。ポンティはフッサールの現象学を基盤に知覚(特に視覚)と意識の関係を深く思考した人です。ポンティは『知覚の現象学』に始まり、『眼と精神』『見えるものと見えないもの』という三つの著作の中で、奥行きについて常に問題意識を持ちながらその考察を深めていきます。その中でポンティがたどり着いた結論はおおよそ次のようなことです(下図1参照)。
〈1〉奥行きと幅は全く性質が違うものである。
〈2〉奥行きにおける長さの知覚は正面と横からの両立し得ない二つの眺めが同時に共存することによって成立する。
〈3〉奥行きにおいては、現在のみならず過去、未来が同時性の中に把持(はじ: Retention/現象学用語。しっかりと持つこと。固く維持されているということ。)されているということ。
〈4〉見えるものの背後にある奥行きは見るものを含むものであるということ。
〈5〉見るものを出発点とし、見えるものを終点とする「わたしからあそこ」という距離概念は、奥行きのとは違うものだということ。
〈1〉については『人神/アドバンスト・エディション』でも「主観線」と「客観線」の違いとして登場しました。
〈2〉は、ヌース理論ではまだ具体的には説明していませんが、やがてψ9=思形の働きの解説のところで登場してきます。簡単に言えば、奥行きを距離あるものとして認識するためには、横からの視線が必要になるということです。この横からの視線の働きがヌース理論でいう「思形」の働きに対応してくることになります。
〈3〉は、ヌース理論では4次元空間の方向軸そのものの働きとして解釈されます。今まで説明してきたように、時間軸 t が反転させられ、虚時間itとして奥行きは機能しているということです。ポンティは奥行き自体に時間の流れが把時されているという論を通じて、過去、未来は常に現在と同居しているものであり、時間の連鎖が漠然とした意識によって司さどられていると考える従来の獏とした意識概念からの脱却を促そうとしていました。
〈4〉はψ3の正確な意味に対応しています。ψ3が真の主体の意味を担っているということです。
〈5〉はψ4の正確な意味に対応しています。距離概念は客体概念が作り出すということ。
このように、ポンティの奥行きに対する哲学とヌース理論の次元観察子ψ3という概念は酷似しているのが分かります。ヌース理論の場合は、このポンティの思考をさらに幾何学的なものへと押し進め、なおかつ、その幾何学性を物質の生成現場へと接続させようとする狙いを持っています。つまり、マクロとミクロの連結を意識と物質(素粒子)の結接点と見なせるような考え方を作ろうと考えているわけです。この次元観察子ψ3とψ4は、OCOT情報によれば、電荷や電場、磁荷や磁場と極めて深い関係を持っており、さらには量子の運動量と位置などとも密接な関係を持っていることが予想されます。
次回からは『人神/アドバンスト・エディション』で書いたψ3=主体、ψ4=客体という内容について、他のさまざまな哲学者の思索を取り上げながらより詳しい説明を加えて行きたいと思います。
7月 22 2008
時間と別れるための50の方法(21)
●メルロ・ポンティの奥行き解釈とヌース理論におけるψ3〜ψ4
前回の話のポイントをまとめておきましょう。
人間の外面領域であるψ3(モノ表面、さらにはそこからモノの背後方向へと貫かれている奥行き)は一般に時空と呼ばれている場所には存在していないということ。それを幾何学的に記述しようとすれば、おそらく時空(外部世界)の一点一点に張り付いた4次元空間の方向における微小な長さのベクトルとして表れているのではないかということ。そして、そこには過去、現在、未来の全時間が凝縮されて「今・ここ」を構成しているということ。一方、人間の内面領域であるψ4(モノの表面からモノの手前に感覚化されている「わたし」の位置を結ぶ線分)は時空を構成するための基礎的空間なっているということ。
以上です。
こうした内容はOCOT情報に含まれる人間の外面と内面という言葉を執拗に解読し続けた結果、見出されてきたわけですが、実は、これと全く同じことをすでに言っていた哲学者が一人います。それはメルロ・ポンティです。ポンティはフッサールの現象学を基盤に知覚(特に視覚)と意識の関係を深く思考した人です。ポンティは『知覚の現象学』に始まり、『眼と精神』『見えるものと見えないもの』という三つの著作の中で、奥行きについて常に問題意識を持ちながらその考察を深めていきます。その中でポンティがたどり着いた結論はおおよそ次のようなことです(下図1参照)。
〈1〉奥行きと幅は全く性質が違うものである。
〈2〉奥行きにおける長さの知覚は正面と横からの両立し得ない二つの眺めが同時に共存することによって成立する。
〈3〉奥行きにおいては、現在のみならず過去、未来が同時性の中に把持(はじ: Retention/現象学用語。しっかりと持つこと。固く維持されているということ。)されているということ。
〈4〉見えるものの背後にある奥行きは見るものを含むものであるということ。
〈5〉見るものを出発点とし、見えるものを終点とする「わたしからあそこ」という距離概念は、奥行きのとは違うものだということ。
〈1〉については『人神/アドバンスト・エディション』でも「主観線」と「客観線」の違いとして登場しました。
〈2〉は、ヌース理論ではまだ具体的には説明していませんが、やがてψ9=思形の働きの解説のところで登場してきます。簡単に言えば、奥行きを距離あるものとして認識するためには、横からの視線が必要になるということです。この横からの視線の働きがヌース理論でいう「思形」の働きに対応してくることになります。
〈3〉は、ヌース理論では4次元空間の方向軸そのものの働きとして解釈されます。今まで説明してきたように、時間軸 t が反転させられ、虚時間itとして奥行きは機能しているということです。ポンティは奥行き自体に時間の流れが把時されているという論を通じて、過去、未来は常に現在と同居しているものであり、時間の連鎖が漠然とした意識によって司さどられていると考える従来の獏とした意識概念からの脱却を促そうとしていました。
〈4〉はψ3の正確な意味に対応しています。ψ3が真の主体の意味を担っているということです。
〈5〉はψ4の正確な意味に対応しています。距離概念は客体概念が作り出すということ。
このように、ポンティの奥行きに対する哲学とヌース理論の次元観察子ψ3という概念は酷似しているのが分かります。ヌース理論の場合は、このポンティの思考をさらに幾何学的なものへと押し進め、なおかつ、その幾何学性を物質の生成現場へと接続させようとする狙いを持っています。つまり、マクロとミクロの連結を意識と物質(素粒子)の結接点と見なせるような考え方を作ろうと考えているわけです。この次元観察子ψ3とψ4は、OCOT情報によれば、電荷や電場、磁荷や磁場と極めて深い関係を持っており、さらには量子の運動量と位置などとも密接な関係を持っていることが予想されます。
次回からは『人神/アドバンスト・エディション』で書いたψ3=主体、ψ4=客体という内容について、他のさまざまな哲学者の思索を取り上げながらより詳しい説明を加えて行きたいと思います。
By kohsen • 時間と別れるための50の方法 • 0 • Tags: メルロ・ポンティ, 人類が神を見る日, 内面と外面, 素粒子