時間と別れるための50の方法(4)

●物理学におけるアルケー(ホーキング=ハートルの無境界仮説)
 さて、奥行きの4次元としてのアルケーについて語るのは、ここで一旦止めにして、現代宇宙論においてこの「アルケー(宇宙の始まり)」がどのように語られているのかを見てみることにしましょう。現代宇宙論の主流は周知のようにビッグバン理論にあります。ビックバン理論によれば、宇宙は約137億年前に特異点という極微の点的存在から突如、大爆発を起こして誕生し、今尚、膨張し続けていると言われています。しかし、この宇宙の開始点となっている特異点という存在は物理学者たちにとっては甚だ目障りな存在です。特異点というのは、アインシュタインの宇宙方程式から必然的に導き出されてくるものらしいのですが、そこではエネルギー密度や温度が無限大になってしまうのです。そのため、微分方程式が計算不能になってしまい、物理法則がすべて破綻してしまいます。宇宙がどのようにして始まったのか理性で把握したい物理学者にとってはやはり、これはのっぴきならない事態です。

 この厄介物の特異点を何とか回避できないかものかと考えたのが、あの車椅子の天才と言われたS・ホーキングです。ホーキングは1983年にJ・ハートルとともにに「無境界仮説」という奇抜な仮説を発表します。無境界仮説は、この実時間の宇宙の開始時に虚時間宇宙(量子重力期とも呼ばれます)の存在というものを考え、ビッグバン以前の宇宙がどういう状態にあったかその有り様を数学的に示したものでした。これは虚時間宇宙を導入すると、相対論的に区別されていた時間と空間の区別が無くなり、特異点自体が消えてしまうからです。

 このへんの事情を分りやすく説明すると、おおよそ下のような直観的な図で説明することができます。図1で示したのが膨張宇宙と思って下さい。時間tと共に膨張していく姿をこの図では円錐形で示しています。円錐形の先はつんととんがっていますが、この先端点が特異点と考えましょう。
 
Borderless
 
ここで、時空における時間の項を虚数にすると、数式上、次のようになります。
 ローレンツ変換の不変量である4次元距離をsとすると、

 s^2= (x^2+y^2+z^2)+(ict)^2

ここで実時間tの代わりに虚時間itを代入すると、

 s^2=(x^2+y^2+z^2)+(ic(it))^2

となり、 Sを1と置いて整理すると

x^2+y^2+z^2+ (ct)^2 =1

という式になってしまいます。この式は4次元ユークリッド空間上での原点から1の距離を持つ3次元球面を表す式と何ら変わるところはありません。つまり、時空を表す式に虚時間を代入すると、時間は空間と区別がつかないものになってしまうということです。

 この実時間から虚時間への変換(物理学ではウィック回転と呼ばれています)は、4次元方向の計量を反転させることに対応しているとも言えますが、大ざっぱな幾何学的イメージとしては円錐状の時空を球面状に丸めることに対応しています(図2参照)。要は、虚時間の導入によって、4次元の円錐が4次元の球体に変換されてしまうということです。こうした球体状の時空が実時間宇宙の始まりには存在していたのだ、というのがホーキング=ハートルによる無境界仮説の骨子です。

 時空が球体状のカタチをしていたとすると、宇宙の始まりは、ちょうど先の尖った鉛筆の芯をボールペンの芯に変えたときのように、円錐の頂点の先が丸い球面状になっていたことを意味します(図3参照のこと)。このような考え方から、ホーキングは宇宙の始源では、始まりも終わりもないようなエンドレスかつシームレスな世界があったのだと言うのです。とすると、このアルケーとしての球面世界は、ビッグバンが起こった場所とビッグクランチの場所が繰り返し相互に繰り返しているような宇宙イメージになってきますし、さらに言えば、この球面上ではどのような対極点も同等なものなので、虚時間宇宙上ではどの場所を取っても、宇宙の始まりであり、終わりでもあることになります。これは仏教で言う「無始無終」の宇宙像ととても似ていますね。時空上のあらゆる場所、つまり、いつでも、どこでも、そこには無始無終の久遠の世界があるということです。

「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとのままという義なり」
「久遠は今に在り、今は即ち久遠なり」
(by 日蓮)