2月 23 2008
世界の終わりと始まりの狭間
永遠がやってくると、
世界はすべて点の中に入る。
なぜなら、永遠の中ではすべての長さは限りなくゼロに近くなるからだ。
創造はこの限りなくゼロに近い無限小の場所から始まる。
この大宇宙を点の中に畳み込むこと。
137億光年をプランク半径と同一視すること。
——点が円環を内包したとき、聖母マリアはイエスを懐胎する
まるにちょんが入るのだ。
そして、君は聞く。
永遠ってどこにあるの?
僕は言う。
目の前さ。
目の前?
そう、見ること自体が光であるということに気づいたとき。
見ること自体が光?
そう。僕らは光でモノを見ているんじゃなくて、光自体が見ることだということさ。
ということは、見ることって光速度の中にいるってこと?
そうだよ。
じゃあ、遠くの星は今の光なんだ。
もちろんさ。
よかった。僕の好きなカシオペア座も今あそこにあるんだね。
はは、当たり前さ。いつでも「今」なんだから。
じゃあ、「今」から何をすればいいの?
たくさんの「今」を集めることだよ。
そっか、みんなを「今」にしちゃえばいいんだ。
うん、そうしたら、本当の未来がやってくる。
のぶ
2008年2月25日 @ 10:52
コウセンさん、お久しぶりです。難しい数式や説明より、詩的な言葉の方がいいですね。
kohsen
2008年2月25日 @ 12:40
のぶさん、お久しぶりです。
そうですね。僕も数式的なものは基本的に苦手です。ヌースの立ち位置はバランス感覚なんだよね。「変換人」というのは、基本的に太陽の精神と火星の精神を統合する精神を持っている者たちのことを言います。太陽の精神というのは人間的な理性を意味し、火星の精神というのは人間の情動を意味しています。僕自身、この二つのものの統合のイメージをいつも考えながら作業しているんですね。
現在のスピリチュアルな運動を見ていると、ほとんどのものが感性重視で情動中心に動いていますよね。やはりバランスが悪い。それはそれで、「方向性」を指し示す意味で重要な働きをしていると思うのですが、やはりもっと中性化させないと意識進化の「力」にはなり得ないと考えているわけです。
ヌースが言ってる力とは思考のことですが、現代人の思考はおもに水星的なもの(言語、論理)と太陽的なもの(物質)との複合として働いています。物理学を始めとする科学的思考なんかはその典型です。日常生活でもそうですが、意識は力(思考)と方向(情動)をバランスよく持つことによって、初めて前に進むことができるのではないかと思っています。その意味で、ヌースは数式や幾何学も取り込んで行こうとしていると思って下さい。こうした意識の生産物も一緒に船に乗せないと、とても木星(ヒトの世界)には辿りつけないだろうな、と考えているからです。