メルカバー雑感

Kepler_image今日も忙しいので走り書き。。。って、いつも走り書きじゃん(~~)。

 ヤハウエは眠っているときは一神だが、創造を再開するときは二神になる——これクリエーションに当たっての大事な原則。でないと鏡による再帰的な次元上昇のループが作れないから。だから、『生命の樹』における左右の柱も本当は双対になって四本になっていないといけない。それぞれの双対関係がキアスムを作るとき、中央の柱に沿って螺旋上昇のエネルギー(カドケウスに巻き付いた二匹の蛇=次元上昇していくヌースの対化)が供給されてくることになる。このエネルギーを次々と連結していくときに、そのポイントポイントで歯車のような役割を果たすのが「メルカバー」だ。メルカバーは普通は「神の戦車」と訳されているけど、こやつが生まれてくるときは赤ん坊なのだから、「神の乳母車」と言い換えた方が優しくていいと思うな。ヌース理論がいうところの例の4位一体、ペンターブ的構造だ。金剛界マンダラやホピ族の紋章にもあるあのサイコロの「五」の目のような絵柄が意味しているものだね。あっ、そう言えば、薩摩藩の家紋でもある○に十もその類いでごわす。

 「5」はヌースでは差異化を行なうための回転の象徴数。もちろん、無限との連結という意味で、これはペンタグラムや正五角形とも深く関係している。ドゴン神話にも「フォニオ」というのがあって、これが円に十字のカタチを持っていて、神話の中ではアカシアから生まれた創造の種子とされている。僕ら日本人におなじみの寺院のマークの「卍」も同じ力の別の表し方だ。もちろん、これが逆回転してしまうと、ハイル、ヒットラー!!になってしまう。こわ。

 メルカバーのカタチはスピリチュアルの世界では「マカバ」でおなじみだよね。それは3次元立体としては双対のカップリングした正四面体(上図参照)として表すけど、ヌース理論でもカタチは全く同じ。意識が通過していくためのヘクサグラムの無限回廊を作り出していくための回転だ。つまり、光の通り道だね。ただし、ヌース理論ではあのカタチを3次元立体としてみもないし、オカルティックな象徴としても見ない。今度の『アドバンスト・エディション』でも書いたけど、おかたく数学的に言えば、4次元空間と4次元時空が重なり合った「等角写像」として見てる。簡単に言えば、4次元構造の3次元世界への影だ。

 双対の正四面体として合体しているのはヌースでいう「止核精神の対化」というやつで、これが4次元軸を持って回転していれば、双対時空のことを意味している。つまり、これら2つの正四面体の回転とは君と僕が意識している時空そのもののことを表しているわけだ。今度の本で書いた次元観察子ψ6〜ψ*6に当たるものだね。この『アドバンスト・エディション』ではそれら両者を君と僕それぞれの「想像的自我」と呼んだ。つまり、君が普通に、「あなたとわたし」って呼んでいるもののことだ。ヌースから見ると、時空という概念は実は自我と同じものなんだ。意識と空間構造は決して切り離して考えることができない——これがヌースの面白いところだね。

 つまり、時空概念で意識が支配されているうちは、君は自我を決して消滅させることはできないってこと。まぁ、消滅させる必要もないんだけど。。。で、この自我として働いている正四面体の回転軸をうまく相手側と交換できると、あ〜ら不思議、4次元時空が4次元空間に早変わり、あっと言う間にミクロの創造空間側に反転しちゃたみ〜。これがヌースでいう「位置の等化」という作業になる。ψ5の顕在化だ。

 これは何を言ってるのかと言うと、相手の目に映る自分を自分と思うんじゃなくって(これは「後ろ」を見てることと同じこと)、自分自身の目に映っている世界の方、つまり「前」を自分と思え!!ってことなんだ。その世界の方がほんとうの「現実」であって、相手の眼差しによって支えられている自分の方は水の中の幻影のようなものだそぉ〜て言ってる。そのへんの意識の行き来をやっているところが、実は物理学が「弱い相互作用」と呼んでいるものの本質。わぁっ、砂子さんもびっくり。だから、砂子さんはヌース的方向で物理のことを考えている。つまりヌースから見ると物質の根底は僕らの魂とつながっているってことなんだ。魂を語る者は、魂ではなく、物質を語れ。『シリウス革命』でも書いたように、あがなわれるべきは魂ではなく、物質なんだ。物質に僕たちのスピリットを注ぎ込んで行かなくちゃいけない。その奇跡的な出来事のことをクリスチャンたちは「ペンテコスタ(聖霊降臨)」と呼んできたんだね。だから、スピリチュアルな人も思考は苦手と言う前に、物質のことをもっと考えて欲しい。わたし待つわ。いつまでも待つわ〜♪って物質が歌ってるよ。

 「人神」オリジナル版の表紙に書いてあった「シリウスの力が今、地上に降臨する」ってのは、人間の意識が物質の内部に分け入って、そこから、物質が創造されたルートを再度、辿って行くことなんだよね。それがヌースがいう「アセンション」の本質だと思ってね。フォトンベルトとか、銀河系とか聞いて、遠い空の彼方を見てはダメ。銀河も太陽系も素粒子も、その本質はすべてこの地上に「見えないもの」として全部重なっているんだよ。つまり、人間が生きているこの場所こそが全宇宙ってこと。