365と260

 マヤ暦のツォルキンという260日周期の暦のことはヌースに興味がある方なら当然ご存知のことと思う。僕がこの暦のことを知ったの1990年代始めだったが、それ以来、今もこの260という数字の謎解きにトライし続けている。前回ブログで取り上げた夢の内容も、その思考の足跡にたぶんに影響を受けたものだろう。

 いずれにしろ問題となるのは、意識構造と暦の構造という一見全く違ったカテゴリーのものを互いに結びつけるための概念である。惑星の自転や公転のリズムがなぜ僕らの意識とつながりを持ち得るのか。この基本的な疑問に何らかの示唆を与えない限り、太陽系を霊的な構造体として論理的に説明していくのは難しい。前に物質構造と意識構造をつなぐために、「観察子」という概念を紹介したが、意識構造と暦の構造との関係を結びつけるにおいてもこの概念は極めて有効な概念になりつつある(まだ完全なものとはなっていない)。

 問題は1日、つまり地球の太陽に対する1自転をどう解釈するかということである。1年と1日は地球と太陽間の相対的な関係が作り出す同じ1つの回転をオモテから見るか、ウラから見るかの違いに過ぎない。しかし、この表裏の比率は365 : 1である。一日と一年を一つの回転の表裏と見る認識とは、言い換えれば、地動説と天動説を統合するものの見方を作るということでもあるのだが、この認識が自己と他者の意識の統合と関係を持っていると言っても、たぶん、現時点では誰も信じてはくれないだろう。365 :1とは、実のところ自己と他者の比率でもあるということなのだが。。
この謎を解く題材として与えられたのは、次ようなOCOT情報だった。

地球の自転と公転の関係は——?
わたしたちの次元では地球の公転と自転は表裏一体。意識が交点を持つものにおいては方向性が同じ。地球の自転とは中和を行うために生み出された力。公転とはカタチを定質に反映させるために生み出された力——(シリウスファイル)。

 詳細はまた別のところ話したいと思うが、この情報が結果的に意味していたことを分かり易く紹介すると、おおよそ次のような内容になる。

オリオンの位置への侵入………1年
プレアデスの位置への侵入………1日
プレアデスの位置からシリウスの入り口までへの変換………1月
シリウスからオリオンの位置の入り口までへの変換………1年

何を言いたいかと言うと、一年と一日と一月の関係は意識の運動における三位一体の連動性を意味しているということである。
 ここでオリオンと書いたのは、意識の真の能動力を意味し、プレアデスとシリウスはそれぞれ、意識の受動力とその受動力を能動力へと変換していくためのニュートラルな次元を意味している。言うまでもなく受動的な意識とは人間の意識のことであり、能動的な意識とは、人間の意識を作り出している真の意味での意識である(真実の人間の意識と言います)。受動力から能動力への変換の次元とは「ヒト」の次元と考えていい。

人間の意識次元の対化を取りまとめる数が「28」。
この「28」を一単位として構成されるのがヒトの意識次元。
ヒトの意識次元全体を取りまとめる数は「13」となっている。
この「13」を一単位として構成されるのが真実の人間の意識の次元。28×13=364
で、問題の「260」とは何かということだが。。。