差異と反復………6

とても回りくどい言い方になってしまったが、前回言いたかったことはただ一つ。モノの外部と内部の差異の幾何学的描像はS^2ではあり得ないということである。そのことは実際に知覚されているモノと空間の関係を素直に見つめれば少しづつ分かってくる。過去三冊のヌース本にも繰り返し書いてきたことだが、知覚されている世界は3次元空間ではなく射影面であるということを忘れてはならない。射影面(2次元射影空間)とは下図に示したように、球面S^2上のすべての対蹠点(たいせきてん)が同一視されるような空間のことである。点Pnは光学中心となる点Oを境に反転して点Pn*と同一視される。これらの射影線の集合をひとまとめに見れば、2次元射影空間の構造には相互に反転した二つの3次元空間が存在しているということが分かる。

 このことは、目の前にモノがあるとき、そのモノの見え姿としての表面(これを物体正面と呼ぶことにしよう)と、モノを図として支えている背景としての面(これを背景正面と呼ぶことにしよう)は、実は同一の面の反転した現れだということを意味している。この反転の様子を実際の感覚に上げてくるのは簡単だ。目の前の球体がどんどん縮んで行く様子を想像するといい。そして、その球体がついには0点まで縮んで、そこでオモテとウラが反転し、今度はどんどん膨張していくさまを思い描けばいいのだ。すると、背景正面に当たる面が、もともと物体正面と呼んでいた面と同じ側の面となっていることがすぐに見て取れるだろう。つまり、知覚空間上におけるモノの内部と外部の差異とは、射影空間の構造を通して見れば、相互に反転関係にある3次元空間同士の差異となっているということなのだ。この3次元空間の相互反転関係の認識はヌースの世界へと入っていくためには極めて重要なものである(「人神」ではタキオン空間として説明したものだ)。

 前回書いた、モノの内部がただ単に膨張していく空間のイメージを思い出してみるといい。その描像では、モノの背景正面はそのままモノの内壁と同じ面にしか対応してこないことが分かるだろう。つまり、モノの内部がモノの外部を呑み込んでしまっている同一化の状態とは3次元認識そのもののことを言っているわけだ。しかし、知覚野の空間を射影空間として見ると(というより、事実、射影空間としてしか見れないのだが)、背景正面はモノの外壁と同じ面であり、モノの外部としての空間は反転しているのである。そして、この反転した空間の内壁において僕らは図としてのモノを受け取けとり、知覚世界自体のランディングを可能にさせていると言っていい。しつこいようだが大事なところなので、もう一度、別の言い方で、モノと空間の間にある幾何学的イメージを明記しておこう。

 モノを象っている外壁面とモノを取り囲んでいる空間の内壁面は同一の面が反転したものである。
 今、おそらくみんなの頭の中でじわじわと浮上してきているであろう場所のことをヌースでは「人間の外面」といい、そこで働いている意識のことを人間の外面の意識という。一方、背景正面をそのままモノの内壁が膨張したものと見なし、両者を同じ面として見ている認識を人間の内面の意識という。こちらはおなじみの3次元の空間認識である。たぶん、みんなは今までこのような仕方で空間を二つに区別したことはあまりないはずだ。というのも、通常、僕らは人間の外面領域に全く気づいていないからである。その意味でヌースがいう人間の外面の意識とは無意識の場と呼ぶことができる。しかし、それが意識化されたからには、それはもう無意識の場ではないとも言える。これからは、そこは、ほんとうの君がいるほんとうの場所として感じ取られてくることになるだろう——。
 さて、これでようやく、モノの内部と外部の差異を云々する準備が揃った。まだつづくよ。

2dprojection_1