3月 23 2006
老人と道
今日は、父の家に行き、半日面倒を見ていた。2週間ほど前から母が入院しており、家で親父の面倒を見る人間がいなくなり、姉たちを始め、孫や、わたしたち夫婦やが当番制で父の傍についているのだ。父はかなり痴呆が進んでいるので、一人にしておくと徘徊等、様々な心配事があるので、皆で話し合った結果、そういう体制をとる運びとなった。といっても、もう明日は母が退院する予定だ。とりあえずは今日が最後の当番となる。
夕方、家に閉じこもっておくのも何なので、いつも毎週父を連れて行く喫茶店に行く事ことにした。このサ店、父の家のすぐ近くにあるのだが、父は足腰も弱くなってきているので、毎回、車で行くことにしている。しかし、3月に入ってからというもの、どこもかしこも工事中で、たった数百メートルの往路の間に片側通行の規制が2ケ所もかかっている。ガードマンのおじさんが、ここぞ権力の行使のしどころという感じで、張り切って旗を振っている。それにしても対向車の通過待ちが何と長いことか。
毎年のことではあるが、本当に3月はどこもかしこも工事中だ。おそらく日本全国で同じような光景が見られるのだろう。いったいこの道路のどこに工事の必要性があるというのか。ただ掘り返して埋めるだけ。いい加減で猿芝居を止めてくれないものか。
今年はあまりに工事箇所が多いので、穏健派のわたしもついついご立腹。勢い家に帰って国土交通省のHPで道路予算を調べてみることに。
平成18年度の全国道路投資額は一般会計、特別会計、地方財源をも含めて約8兆2千億。すごすぎ。何で毎年、毎年、こんなに金が要るんだ?とどのつまりが、日本は自動車立国なので、ガソリン税や従量税や自動車税として特定財源からガッポリお金が取れる。狭い国土にこんなにたくさん道路はいらないが、自動車から上がった税金は国土交通省が貰うのは当たり前でしょ、半田さん、というわけか。それにしても見にくいHPだなあ。こっちに100万円ぐらい予算を割いてくれんかのう、呆け役人さんよ。
それに対して、今朝のニュース。65歳以上の高齢者が支払う介護保険料向こう3年間4090円に。一気に24%上昇!!介護問題が切実になっているところだったので、半田さんは余計にご立腹。同じく、勢い、厚生労働省のHPに飛ぶ。10年前の保険料の予定計画書を見てみると、平成22年度予定でも3600円だったことが判明。おい、まだ平成18年度やぞ。いい加減な見通し立てやがって。このままでは、あと10年も経てば一万円を超えるのは必至。いや、ヘタすると雪崩れ式に2万円までぐらい上がるかもな。ちなみに平成14年度の介護保険の予算額は年間約5兆円強となっている。道路なんてもう作らなくていい。こっちに少しは予算を回さんかい!!(それにしてもここのHPも見にくい)。
僕らは単純に思う。終わりよければすべてよし。老後が誰もが安心して暮らせるようになれば、こんなギスギスした世の中にはならないだろうと。もし、国民の誰もがそう思っているのらば、老人福祉に予算を大きく割いて、医療はおろか、国立の介護付きデラックスマンションを軒並み建築して、食費も全額無料という制度だって作れるはずだ。失業者たちをそこの従業員に当て、公務アルバイターとして働かせればまさに一石二鳥。失業問題だってかなり解消できる。しかし、そうは問屋がおろさない。一体、何が老人福祉社会を阻止しているのか。
答えは簡単である。国家資本主義社会だ。資本にとっては、国民が将来の保証に安穏としてもらっては困るのだ。国民を常に生活的な危機意識状態においておくこと。そうしなければ現在においての国民全体の労働意欲が減少する。どうせ老後はラクチンなんだから、別に貯金もいらないし、保険だって入らなくていいも〜ん。労働意欲の低下はそのまま税収の低下につながり、国力は衰退の一途を辿る。それが国家資本の考える事だ。だから、老人たちが幸福であってもらっては困るわけだ。と、まぁ、ここまで問題は単純ではないだろうが、国民を恐怖と不安であおりコントロールする。それが国家というものである。
そろそろ国家や資本主義に代わる何か別のイデオロギーが出て来なければ人間は滅ぶ。
mayu
2006年3月24日 @ 15:31
コウセンさん、こんにちは。
ほんとにこの国はおかしいですよね。でも本当におかしいのは国民だと思います。だって、NOって言わないんですもの。「小泉さんって、素敵~」って票が入る国民なんですから。
電話の向こうの母も、年金は減り、税金は増え、、、とぼやいていました。高齢だけど両親ともどもおかげさまで元気にやっているのでそれだけでも救いがあります。わたしが死んでも両親には永遠に生きていて欲しいから。
ずいぶん前の一時期、ある著名な弁護士と一緒にというか半強制的に市民運動なるものに拘わされたことがあるのですが、林道を作るときってどうやって作るか知ってますか?地図上で適当に線を引いて、それで林道が出来るんですよ。弁護士がそう言ってました。驚愕以外の何ものでもないですよね。
普通の市民運動って計画を阻止できないじゃないですか。でもその弁護士は林道もダムも阻止しましたよ。法令化にこぎつけたこともありました。林野庁、運輸省、会計監査院などにも連れて行かれましたが、本当のことを知るにつれ、内容があまりにも凄すぎて、この国は一体どうなっているんだろうと、まるで小説でも読んでいるかのようでした。
ホントに日本人ほど意思表示をしない国民もいないんじゃないでしょうか。NOという前に無知ですよね。あまりにも知らなさ過ぎる。その弁護士の口癖は「俺は運動が嫌いだ。いわゆる市民運動は運動自体が目的になっている。目的は運動をやることではない。本気で計画を阻止しようとするなら、計画を推進する相手よりも更に専門的なことや多くのことを学ばなければ絶対に勝てない」でした。弁護士と国や自治体とのやり取りがまるで法廷映画でもみているかのようで痛快でした。彼のような人間が何人かいれば日本も変わるだろうって、何度も思いました。それくらい個性的で面白い人でしたよ。
「人類の家畜化」とよく言われますが、この言葉は日本人にぴったり。他の国では意思表示をしてますからね。
どうも平和になっては困るようですね。恐怖と不安の世界のほうが彼らには都合がいいみたいです。
うわ~、いっぱい書いちゃった。
「国家や資本主義に代わる何か別のイデオロギー」
何でしょうね。は~やく、出て~、コイ、コイ~。
kohsen
2006年3月25日 @ 00:08
mayuさん、ご無沙汰です。
わたしも日頃はほとんど政治に無関心だけに、無知な大衆の一人です。
政治に参画すると、政治的な情念の中に逆に呑み込まれてしまいそうで、意識して避けているところがあります。
日本人は分離意識が弱いんですよね。分離してつながることが真の共同体なのでしょうが、分離しないことを共同体と勘違いしていたふしがある。こうした、島国的な自己境界の曖昧さが、大衆の質をとことん低くしているのだと思います。
小菅
2006年3月27日 @ 00:46
コウセン師匠感動いたしました。かなり苦労をされているのですね・・・。
「国民を常に生活的な危機意識状態においておくこと。そうしなければ現在においての国民全体の労働意欲が減少する。」
まったく。至言ですね。誰もが一度は希望すること。
失業者には風当たりがきつい。
セーフティーネットを充実してもらったら、間違いなく私は働くまい。
「道路にそんな予算割く必要ないやん?」て思いますね。道路族が強いのでしょうけど。神戸空港も特に必要性を感じないけれど、莫大な利権がからんでたのか、完成しましたし。
下層の人間にはとことん冷たいPSE法も、ちょっとおかしいと思いましたが、どうしようもないですね。
<人口問題―環境破壊―膨大な国債>、どう転んでも、もうこのままではどうしようもない。勝ち組も負け組も共にドボーンの泥舟にいると思ってます。その中で、わずかでも安楽な生活がしたいと走りまわる自分。
かなり救いがない。
そんな描像を映し出しているこの鏡は、割れないのでしょうか。
ヌース理論が、その力のうちの一つになっていったらいいなと、しがない労働者は僅かに夢をみています。
今日で、三十路になりました。
kohsen
2006年3月30日 @ 23:51
小菅さん、こんにちは。
ポストモダンの社会では大きな物語が無くなったと言われるけど、実際にはかつて見たこともなかったような巨大な物語が世界を覆い尽くし始めてる。ECのような共同体が出てこようが、エコロジーが出てこようが、ニューエイジが出てこようが、結局のところ通奏低音として流れているのは、常に「生産せよ」「消費せよ」「稼げ」という同じ価値循環の指標。今や、このオートマトンループの運動はデジタルデバイスよって加速され、事態はより深刻な方向へとシフトしている。
PSE法案は見直されるようだけど、GDPグラフの右肩上がりを国家総動員で目指す限り、類似した法案は続々と出てくることだろうね。国家資本主義から地球国家資本主義。デジタルのスピードに人間的精神を去勢されてしまった消費者は、もはやデジタル社会が孕むこの破格の狂気に気づくこともない。そうして今日も嬉々として新商品に群がっていく。消費してもただ虚しさが残るだけ。その虚しさを晴らすためにまた消費。生産してはまた消費。。消費とは泥沼の信仰だ。オレたち糞だな。やっぱ。
とにかく、別の物語を作り出さないとね。抜け道を探そうぜ!!