精神の病とは社会の病

 カフェ・ネプで「統合失調症」の話題が上っていた。分裂病がこの名称に変更されたのは3年ほど前だったか。わたしは約20年ほど前、強度の分裂病に襲われた経験がある。いや、正確にはそれが果たして分裂病だったのかどうかは分からない。原因不明の、それも、突発的に襲った錯乱症状であった。今でもそうだが、精神の病の分類はかなり曖昧なもので、当時は何の病気なのか分類のしようがないので、とりあえずは分裂病のカテゴリーに投げ込まれたというのが実際のところだった。

 分裂病の症状には大きく分けて陽性症状と陰性症状と呼ばれるものがある。「陽性症状」とは、妄想、幻覚など本来ないものが出てくることだ。一方、「陰性症状」というのは、逆に本来あるべきものがない状態のことをいう。「陰性症状」に入ると、意欲や気力が低下し、口数が少なくなる。記憶力や集中力、さらには学習力も落ち、感情反応が鈍り、考えもまとまらなくなる。一般の向精神薬は「陽性症状」は何とか押さえることができるが、「陰性症状」を快方に向かわせることは難しい。

 ただ、厄介なのは、「陽性症状」を軽減するための向精神薬の投与が「陰性症状」をより悪化させる作用があるということだ。これはわたしの経験からも言える。薬を与えられるたびに、気力や思考力が一気に去勢される。つまり、薬が精神をより病ませていくことは否定できない。わたしは入院中、薬の投与を拒否したが、それは許されないことだった。無理矢理、口に押し込まれる。それはかなり陵辱的なことで、そうした医療の権力に耐えられなかったわたしは、作戦を変え、従順に薬を飲むふりをして、すぐに便所で吐き出すという技を覚えた。よくスパイ映画に出てくる手法である。

 日本の社会は病人に対してとりわけ冷淡な社会である。肉体の病は他の動物にもあるが、精神の病は人間特有のものだ。それは精神の病がラカンのいうように言語の病であるからに他ならない。とすれば、精神の病とは社会の病なのだ。社会全体が自分の身体性における病として取り組まなければ、この手の病はますます増え続けるだろう。実情は惨憺たるものがある。現代社会は精神の病を持つ者に対して、さしたる根拠もなく、恐怖心と差別心を抱く。日頃、人権がどうのこうの口うるさいあのメディアでさえ、何か猟奇的な殺人事件などが起こると、すぐに、加害者は統合失調症で病院に通院していましたなどと、平気にレポーターに語らせる。全く無知蒙昧な連中である。君らの無思慮な報道のせいでどれだけの統合失調症の人たちが世間に白眼視されているのか分からないのか。

 精神科医もひどい連中が多い。だいたい精神を病んだことのない連中に、精神の病が理解できるはずはない。特に日本の精神医学の現状は最低ではないのか。薬で治すことしか考えてない連中ばかりだ。入院患者は家畜同然の扱いで、社会からの隔離を目的に精神病棟の中で薬漬けにされて飼われている。狂気に寛容ではない社会。そういう社会の方こそ病んでいる。再度、言うが、精神の病とは社会の病なのだ。