占星術の彼方に

久々のブログ。かなり間を開けてしまった。お盆前後は、プライベートな行事がたくさんあって、日常にドップリつかっていたので、ブログへの書き込みは何となく億劫になって足が遠のいていた。その代わりと言っては何だが、日常のみに足を奪われないためにヌース会議室の方に10件近く書き込みを行った。「お盆シリーズ」ということで、現時点で推測されるヌース的「太陽と月と地球の三位一体関係」について、ヌース理論の視点からざっとメモ代わりにまとめてみたのだが、重要なポイントがまだ詰め切れていないので、まだお伽噺の域を出ていない。ただ、太陽系に対してヌース理論がどういう見方をしているか、「シリウス革命」当時よりも徐々に具体的になってきているので、興味がある方は是非、参照して欲しい。

ヌース理論会議室 →http://noos.ne.jp/forum3/c-board.cgi?id=noos

 ヌース会議室のヒット数の上がり具合も、このお盆シリーズ中はいつもより早かったようだ。おそらく、量子論などの話と違って、太陽系に関する話題の方がみんなは興味があるのだろう。「シリウス革命」が出た当初、サビアン占星術を日本に最初に紹介した直居あきら氏から手紙を頂いて、ヌース理論とサビアン占星術の背景にある哲学が極めて酷似していることを教えていただいた。少し傲慢な物言いになるが、わたし個人としては似ているというよりも、おそらく、占星術の起源にあった哲学自体が、ヌース理論が今から構築しようとし考えている哲学体系(この呼び名はあまりふさわしくないが)なのではないかと思っている。その意味で、いずれヌース理論は現在、オカルトという蔑称で片付けられることの多い占星術的世界観に論理的証明を与え、占星術並びに、その背景となる古代思想の正統性を復権させることになるやもしれない。もちろん、現在の占星術は個人の占いのレベルが趨勢を占め、その崇高さは色褪せてはいるが、この体系は、実際には高次元空間の幾何学を背景に持った確固たる精神科学であったに違いない。

 星々の回転を単なる土塊の回転のように見る眼差しが未だに世界を支配している。宇宙空間に巨人ガリバーとして聳えるコギトの眼差しだ。この目はその昔、君臨した一神教の神の目よりもある意味、巨大である。そこでは、天体の運動はすべて力学に支配された関数と見なされる。関数とはイデアの屍骸だ。のっぺらぼうな均質化された思考。マクロがミクロを包むことしか知らない思考。空間の差異を思慮しない思考。あまりに野蛮だ。

 天体の回転は決して3次元的な回転ではない。月の自転があり公転があり、その中心となる地球の自転があり公転がある。そして、さらなる中心となる太陽の自転があり、それを取り巻いて、幾多の惑星が旋回の層を作っている太陽系という名の神秘の空間。かつて、ケプラーはこの旋回が紡ぎ出す音色を天球の音楽と呼んだが、この音楽は宇宙の万物を生成している高次元多様体の交響楽である。その繊細で精妙なアンサンブルをどうやってソルフェージュしていくか、それがこれからのヌースの課題である。太陽系と原子は同一の存在なのである。