カフェネプ危うし!!

 2000年4月にヌース理論のサイトをオープンして以来、長年,運営している掲示板「カフェ・ネプチューン」の運営方針を変えることにした。ここ数ヶ月、あまりに礼節を欠いた書き込みが多かったのでわたし自身、僻々していたが、このままでは、ヌース理論に好意的な視座を持っている人たちの意見も吸収できなくなってしまう。そう判断し、致し方なく、運営上好ましくないと思われる発言は即座に削除していく方針に切り替えた。

 ROMの中には今までの自由奔放な掲示板運営を望む人たちも多いかもしれない。わたしにしても基本的には「予定調和」がモットーである。しかし、ここ数ヶ月のカフェ・ネプチューンの状況は酷い。悪貨は良貨を駆逐する、という法則の通り、建設的な意見交換がほとんど見られなくなってしまった。冷やかしの類いが多すぎるからだ。きっちりとした批判精神を持った書き込みならば大歓迎なのだが、批判と呼ぶにはほど遠いお粗末な悪意の垂れ流し。こうした書き込みが増えてくると、掲示板には、いい加減なHNが一気に増えてきて、その内容も機械的な雑言の応酬に終始するようになる。要は、本来、ネットコミュニケーションの長所であるべき無名性を逆手に取って、魂の腐りきったチキン野郎がうじゃうじゃ這い出てくるのだ。まあ、ヌースのような半ば思想的な活動をしていれば、こういう輩が出てくるのは百も承知だが、さすがのわたしも最近はちょいと疲れてきた。掲示板は廃止にしたくないので、とうとう、致し方なく管理者権限発動の運びとなってしまったわけである。

 魂の腐りきったチキン野郎——とりあえず、こうした連中のことを実存的弱者と呼んでみよう。こうした隠れた暗がりに潜む矮小な権力者どもは実のところ一番たちが悪い。それはあからさまな帝国的権力よりも、ときに人の心に甚大な災いをもたらすこともある。この輩は、そこかしこの暗がりや物陰から、人の心の奥襞に山姥のような執拗さを持って介入してくる。こうしたミクロならぬナノの権力は、当人たちの思惑とは裏腹に神々に訴えかける力など露ほどもない。要は自我がないからだ。連中は夜中に寝床ではっと目を覚まし「裁きたい、裁かずにおられるものか」と無意識に叫び出す。これはこの手の仄暗き権力者たちの特徴である。もちろん、こうした傾向は人間ならば誰しもが持っているものだが、自己診断チェックとしては次の三つの項目を挙げることができるだろう。

1、権力を破壊しようという心はないか
2、自分のみが正義を知る者だと思う心はないか
3、好んで陰に隠れようとする心はないか

これらはいわば、ルサンチマンに現れる聖なる三位一体と言っていいものだ。復讐の画策と自己陶酔の病はすべてこうした心の働きから起こる。わたしの場合は「1」のみ当てはまるが、他の要素はほとんどない。人間の体制はこうしたチキンの心によって支えられている。わたしも自戒を怠らないようにしなければ。。