プタハの結び目

putaha
 今日、甥っ子から来たメールの返事を書いているときに、話題がたまたま建築の話に及んだので、久しぶりにプタハ神のことを思い出した。プタハ神とは古代上エジプトの建築神のことだ。当然、ここでいう建築神とは宇宙の創造神のことを指す。あのフリーメースンが建築の神として崇拝していたのも、このプタハである。

 プタハはいかにして宇宙を創造したのか。逸話では、それは「最初にトートによる音声があったからだ」という。トートの音声を物体である宇宙に結び付けたのがプタハであったとされる。その意味で言えば、存在は光というよりも声から始まったということになるのかもしれない。プタハが目覚めるとトートは眠りに入り、逆にトートが覚醒すればプタハは影を潜める、そういった役割分担が宇宙の摂理として存在するのだろう。

 トートとプタハの関係は、以前、ヌースレクチャーでもよく紹介していた「プタハの結び目」という象徴によって文字通り一つに結びつけられる。二重に結われたこの結び目は、結び目の中央に6回の螺旋状の巻きを作り、それらを束ねた全体を含めると「7」で完結させられている。古代エジプト人たちは、この結び目における二重性をこの世とあの世の架橋と考え、ここにできる結び目自体を神の世と人の世とを一つにする力の備わる場所と考えていた。結び目自体はまた、人間の個体性と深い関わり合いを持っている。事実、古代エジプトのヒエログリフでは、紐の結び目は人の名前を表した。古神道風に言えば、本霊(モトミタマ)と分霊(ワケミタマ)の重なり合いの場といったところなのだろうか。結び=産霊(結び)。13霊結びの奥義。。。カバラでいうところの至高神(ケテル)=身体(マルクト)という思想がここにも垣間みられるわけだ。例の異端のエジプト学者シュヴァレ・ド・ルービッチの言葉を借りるならば、人間の身体とは「神の神殿」であるということにもなるのだろう。

 プタハが宇宙の創造を終えたあと、音声の神としてトートが再帰する。プタハとトート。これら二つの神は創造の終わりと、その創造のあとを引き受ける者の関係を表すと考えていい。すなわち、人間の身体と言葉のことである。トートは人間を名付けたあと、今度は人間に主体の座を明け渡す。つまり、プタハもトートも共に隠れ神となるのだ。主体とは名付ける者の異名でもあるから、今度は人間がトートの代理として主体を装い、世界を言葉の力によって治めることになる。しかし、この名付けはすべてプタハの遺産あってのものであるから、その意味でいうならば、世界への名付けの音声とは創造の反響音のようなものである。

 形象の類似性から見て、プタハの結び目はギリシア文字の「Ω(オメガ)」のルーツとも言えるだろう。よって、それは創造の完成の象徴ともなるが、そこには再びトートの魔術が支配する世界が訪れている。それは新たなαが始まるまでの言葉と光の間の性愛期とも言える。プタハはまもなく登場してくることだろう。音声をカタチにするために。