6月 5 2005
ウロボロス
今日の来客は阿蘇在住のN氏。彼はわたしの古くからの友人である。
彼とは15年ほど前、英会話の学校で知り合った。当時、N氏はまだ学生で、全身をISSEY MIYAKEで包み、ときにレザージャケットとレザーパンツでバイクを乗り回すシティ派のライダーだった。好きなアーティストはデビット・シルビアンとマービン・ゲイ。おっ、なかなかいいセンスじゃん、ということで、音楽の話題から意気投合し、いつのまにかわたしを兄貴分のように慕うようになっていた。当時のわたしは兄の手伝いをしながら細々と生計を立てていたが、若気の至りというか、世界を変えてやる!!という野望に満ちていた。兄の会社が倒産に追い込まれたときに、行き場を失い、世界革命の手始めに「beggers banquet」というお好み焼き屋を作ろうと本気で考えていた。革命のために何でお好み焼き屋なの?——今ではよく理由は分からない(笑)。おそらく、ホットなジョイントスポットを作って、そこにアートやらニューサイエンスやらニューエイジの勢力を結集して、従来とは違ったカルチャーの発信源にしようと考えたのだろう。。その夢を若かりし頃のN氏に語ると、彼もまたわたしの話に多いに刺激を受け、大学を即、自主退学、お好み焼きのノウハウを学ぶために大手のお好み焼き屋のバイトに入った。
本当に気持ちがストレートな若者だった。ところが資金面の都合でお好み焼き計画は暗礁に乗り上げ、可哀想なことに、彼だけがそのお好み焼き屋チェーン店に一人取り残されることになった。もともとガッツのある奴なので、N氏はそのままその会社で出世街道を上り詰め、若干24歳で数件の店を任される外食産業の経営者となった。その職場で一体彼が何を経験したのかは詳しくは知らない。二人の歩む道が分かれた後も近況報告がてら、たまに顔を合わせてはいたが、当時、奴は仕立てのいいダブルのスーツを着込み、完全にマネーの虎になり切っていた。
ところがである。あるとき、突然、地位も将来の保証もすべて捨てて阿蘇へと移住した。何でも「農」に目覚め、食の革命こそが真の革命につながると思い立ったようなのだ。あれよあれよと言う間に、自給自足の生活計画を立て、都会的な生活のすべてを捨て去って、彼を慕う女性と二人、阿蘇の原野へと移り住んだのである。これが今から11年前のこと。
と、まぁ、N氏の大ざっぱなプロフィールを紹介したが、現在、彼はライフワークとなった「農」と共に写真をやっている。数年前に写真家の森山大造さんに認められ、大きなコンテストで賞を取り、現在ではプロの写真家としても活動している。全国ネットのTVなどでも彼のライフスタイルは番組ネタとして放映されており、それなりに頑張っているようだ。そんな彼が新しいスタイルの写真を撮ったから見てくれ、という。何でも次のコンテストでグランプリを狙いたいというのだ。ただタイトルが決まらない。何かいい知恵はないか、と相談にやってきた。
EPSONのマット紙にプリントアウトされた60枚ほどの写真は、確かに、彼の新境地だった。今までの彼の写真は阿蘇の大自然と、愛妻と一人息子との家族仲睦まじい生活風景がほとんどを占めていた。都会であくせく働く都市生活者にとっては、ある種憧れを持つライフスタイルではある。彼自身も当然、そうした脱-都会イメージを自分の売りにしていたところがあったが、今回の作風はガラリと変わっていた。一言で言えば、自然に潜む闇、とも言える作品群である。
ナチュラリストの彼にしてはまた違ったテイストである。本人は森山大道氏やアラーキーに大きな影響を受けたと言っているが、わたしが見たところ、かの先達たちよりも、もっと立ち位置が繊細な感じを受けた。単に打ち捨てられたものたちの悲哀や、荒廃に立ち上がるアウラをキャッチしようとしたものではなかった。そこには光と闇の境界を巡るガラス細工のような繊細な情景があった。その情景の中には都市でも自然でもない場所に向かって直立している異空間があるように見えた。一瞬の切り取りではなく、永遠の切り取り。止まった永遠ではなく、生きている永遠。美でもなく醜でもなく、限りなく人間的なものと、限りなく非人間的なものがせめぎ合う異邦の場所、そして、そこに響く精霊たちの笑い声と泣き声。トワイライトに立ち上がる意識と無意識の間の波打ち際。そのさざ波が聞こえてくるようなカオスモスの音楽。たぶん、意図的だろうと思うが、彼の作品群の撮影時間もすべて明け方か夕暮れ時になっている。………彼の心象風景も大きく変わったものだ。写真には作家の心象があますとこなく撮影されるという。
その意味で言えば、彼の中に今まであった自然への礼賛や、かくあるべき理想的家族の幻想、さらには、生きることに対する力みは、遠く過去のものとして消え去ったかのようだ。何か大きな出来事が彼の中に起こったに違いない。(だから、コンテストのグランプリなんて狙うなよ。ぶつぶつ。)
「始まりと終わりの接点を見つけたのかもしれないね。もしこの写真集が僕の作品なら、タイトルは”ウロボロス”にするな。」最後にわたしはそうつけ加えた。「収穫あったよ、半田さん。さんきゅー。」と言ってN氏は帰っていった。
KUN10M1.
2005年6月6日 @ 11:16
森山さんは、私が敬愛してやまない写真家の一人です。
彼の写真が強烈なのは、どんな風景を撮らせたってそこをアジェさながらに殺人現場にしてしまう。
生の衣服を剥ぎ取って、剥き出しの死をどんな日常からもカメラ一つで掬いあげてしまうんですね。
例えば彼が海水浴場を撮った一枚があるのですが、日焼けをしに横たわっている人々の群れが、まるで死体安置所のような地獄絵図に変えられてしまっているわけです。
そこに死の圧倒的なリアリティーを感じたことを覚えています。
森山さんが“死”というテーマに対して、露骨な猥褻さを持ち合わせているのだとしたら、荒木さんは現実というその生々しさ(リアリティー)を極限まで追求した先に“死”を捉えているといった感じでしょうか。
いづれにせよ、日本写真界の歴史に残る人物であるに違いありません。
kohsen
2005年6月6日 @ 12:52
森山大造氏は写真をやってる人にとってはカリスマ的存在だと聞きました。
N氏も最初会ったときは緊張してガチガチだったそうです。
かろかろ
2005年6月8日 @ 00:48
それって「裏民宿 はじめまして」をやってる人物ですか?だったら、民宿開設当初、なんどか行ったことありますが、、、違うかも。
さて、最近コウセンさん辛そうですね。「*ROMの皆様へ」を読んで切なくなりました。私もちょっと加勢しようかなぁと思ったけれど、必要なのは心情的加勢ではなく同志としてのスタンスの筈で、それにはそれなりのパワーの集中が要ります。ちょっと今の私にはしんどい。私は自身の深いルサンチマンに気づかない偏執狂を相手にしたくはないし、さりとてヌースを贔屓の引き倒しでアートにしてしまう(パラダイム変換の端緒としての芸術という意味では支持しますが)援護射撃にも与したくありませんので。おそらく、「一枚の絵に対する最良の批評はもう一枚の絵」であるような批評ないし援護のみが、混沌を切り裂く本質力をもつのだと思います。もう少し元気が出たらトライしてみますね。
最後にひとことだけ。「誤解される人の姿は美しい(岡本太郎)」とか。
この頁が一番静かそうだったので、書き込みました。逸脱していると思われたら削除して下さい。
mayu
2005年6月8日 @ 21:47
若かりし頃は、東京で1、2と言われたグラフィックデザイナーの友人が
写真が好きで、生まれ変わったらカメラマンになりたいと言ってました。
彼が言うには、
今がチャンスだと思いシャッターを押してももうすでに遅いと言ってましたね。
シャッターを押すタイミングは動物的勘だと。
被写体の姿がそのまま写るのではなく、
カメラマンの心が写真に写ると。
彼が人の写真を撮るときは
被写体の一番美しい顔と醜い顔を隠し撮りで撮ります。
私も良く撮ってもらいましたが、
本当に知らないうちに、しかも私ではないみたいに
きれいに撮ってくれました。
思い出したので書いてみました。
KUN10M1.
2005年6月9日 @ 02:05
私は本来写真というのは“ワタシ”の分身だと思っています。
篠山さんのように、インスタントカメラ一つで渋谷の若者たちをファインダーも覗かずに適当にパシャパシャ撮って、「ありのままのリアルな現代を映すんだ!」なんて方もおられますが。。。う~ん、どうかな?w
それなら私は中平さんのようにファインダー越しにジッと事物と対峙(格闘)し続けることによって、モノそのものを捉えるというような形での主観性の排除の方が好きだなぁ。
kohsen
2005年6月9日 @ 22:06
かろかろさん、どうも。
どうか、ご心配なく。ヌース会議室の方はまもなく再開します。
世の中いろいろな人がいますから、まあ、この種のことをやっていれば、
からかいや中傷もでてくるでしょう。
「誤解される人の姿は美しい(岡本太郎)」………。
いい言葉です。
これからもガンガン、行きまっせ。