JムービーはJブービーか。

 今年のゴールデンウィークは久々に自宅でくつろいで、ヌースとDVD三昧。何と1日にDVDを2作づつのペースで鑑賞してしまっている。レンタルビデオ屋というのは一度通いだすと止まらなくなってしまうのだが、この惰性的反復を止めるには駄作を続けざまに借りればいい。わたしの場合、そろそろ打ち止めだなっと思ったら、邦画をレンタルすることにしている。今回借りた日本映画は「デビルマン」と「血と骨」という二本の作品だったが。。。わたしの期待通り、またやってくれました日本映画。これでしばらくはDVDを借りたくなくなる。ありがとう日本映画。。。

blood_bone

 さて、まず最初に「血と骨」という作品だが、この作品は日本アカデミー賞をはじめとする去年の国内の映画賞のほとんどを総ナメにした作品ということで少しは期待していたのだが、予想通りひどい映画だった。のっけから「ゴッドファザー・Part2」のあまりにも安っぽいパクリ。そして、ラストは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のこれまたチープなパクリ。バクりが悪いというわけではない。どうせパクるのであれば、一度完コピしてからにしてほしい。表面的で安易なパクリは製作者の姿勢が見えて、それだけで、興ざめしてしまう。音楽、演出、カメラ、どれをとっても、賞を受賞した作品にしてはひどすぎる。この映画の場合、確かに予算面の問題もあるだろう。戦前から戦後にかけての昭和のリアルを装っているセットがまるで横浜のラーメン博物館みたいだ。どうにかならないものかこの美術センスは。主演のたけしの演技はすごみがあったが、裏を返せば、この作品からたけしを取ったら何も残らない。にもかかわらず、監督賞、作品賞、主演女優賞、助演男優賞、女優賞、脚本賞………ってほんまかいな、という感じである。★★。

devilman

 さて、次の「デビルマン」だが、こちらはついに前人未到の境地へと達してしまった。東映バンザイ。東映バンザイ。東映バンザイ。とみんなで三度叫ぼう。東映は、かつて「北京原人」という大傑作を生んだが、この「デビルマン」はそれを軽く超えてしまったのではないか。まだ、21世紀も始まってまもないが、間違いなく21世紀の映画史上サイテーの作品として映画史にその名を残すだろう。もとい、20世紀中に劇場用映画として作られた作品を合わせてもこれにかなう作品はないかもしれない。あの「死霊の盆踊り」より、はたまたあの「シベリア超特急」より、この作品が背負った恥の強度は凄まじい。どこかのサイトに「絶対悪というものがあるということをこの映画は証明した」といった映画評があったが、それは決して大げさではない。見れば分かる。これに比べれば「キャシャーン」は何と輝いていることか。それにしても作品の中でニコニコ顔で出演していた永井豪は自分の最高傑作がここまで辱めを受けて悔しくはないのだろうか。わたしだったら、間違いなく東映並びに製作者全員を告訴するだろう。点のつけようのない作品だが、5段階評価としては★。

 しかし、真の問題は「デビルマン」のデキの酷さにあるのではない。深刻なのは、2004年の国内の映画賞を総ナメにした「血と骨」、そして日本映画史上かつてない駄作と評判の「デビルマン」、この両作品が映画の質としてはそれほど大した差がない、という歴然とした事実である。この事実が持つ空恐ろしさこそが現在の日本映画界、ひいては、日本のカルチャー界全般が持った危機の本質なのではあるまいか。

 もし、映画が総合サブカルとしてその時代の精神状況というものを反映しているジャンルであるとするならば、現在の日本映画全体が放っているオーラの色が今現在の日本人の精神的実状であるということをわたしたちは認めなくてはならない。レンタルビデオ屋に行って、邦画のコーナーの前に立ってみるといい。そこには何とも言えないグロテスクな波動が満ちている。別にホラーものが流行っているという理由からではない。SFもの、青春グラフティーもの、コメディーもの、社会派もの、ヤクザもの、etc………すべての作品がおしなべて不純で安易に見えるのはわたしの思い込みか。マーケットをなめている。プロ野球と同じで、これも豊かすぎる社会が生み出した余剰な脂肪分というところか。。。

 日本人は技術的なものよりも、感性的なものを重んじるというが、そんな一人よがりの夢想などは今すぐに捨て去るべきだ。技術なきところに感性なし。ハリウッドを真似た韓国に倣う必要はないが、まずは、映画のイロハをしっかりと学んだ映画人を要請する場を作るべきだ。感性を云々するのはそれからだ。